前回、エリカに渡されたゴルゴネイオンは、その時点で彼女から魔導書のようなもの、と説明は受けています。それも、「古き地母の徴。幾多の女神をまつろわぬ地母へと導く道標」として。つまりは、これがまつろわぬ神を降臨させるものだと、護堂さんはちゃんと認識しております。勿論、日本に持ち帰るのを嫌がったのですが、このままイタリアにゴルゴネイオンを置いておくと、イタリアが大変なことになってしまいます。何しろ、イタリアを根城にしていたカンピオーネであるサルバトーレ・ドニ氏は、護堂との決闘で大怪我をして姿をくらましており、まつろわぬ神の降誕を阻止する人がおりません。ああ、このまま行けばイタリア終了のお知らせ、などなどとエリカに散々言い負かされた護堂さんは、地元東京が大ピンチになるリスクを承知しながら渋々これを持ち帰ることになるのです。

そりゃあ、祐理に怒られて当然です。

そんな祐理さんの、実はこれが本来の初登場シーンである櫛折りのシーン。茶髪巫女、などと揶揄されている祐理ですけれど、これは染めている訳ではなく生まれつきでして、祐理も結構気にしていて、髪の色にはひそかにコンプレックスを抱いています。
加えて、本来ならば甘粕さんとも、祐理はここが初対面。どうもごっちゃにされているきらいがありますが、国家機関である国内の魔術組織の統括を行う正史編纂委員会の職員は甘粕さんだけであって、あくまで祐理はそれに協力する外部の組織の人間です。
彼女が所属しているのは武蔵野―関東一円を霊的に守護する一団であり、そこで媛と呼ばれる高位の巫女の座についています。彼女は非常に強力な霊視の力を備えていて、その力は幼い頃に東欧の魔王に招致された事もあるほどでした。もっとも、そこで彼女は魔王ヴォバン侯爵の恐ろしさを身にしみて味わい、カンピオーネという存在への偏見を強めてしまい、護堂に対しても様々な勘違いや思い込みを起こしてしまう事になるのです。
尤も、後々になって振り返ってみると、彼女の偏見は偏見でもなんでもなく単なる事実であり、勘違いや思い込みも今にして思うと別に誤解じゃなかった気がする不思議!!
この時点においても、草薙護堂の風聞は、イタリア各地の名刹を破壊して回った挙句についには世界遺産のコロッセオまで倒壊させてしまった破壊魔であり、著名な魔女であるうら若き少女を愛人として侍らせている漁色家の魔王ですから、清純な巫女さんに胡乱な目で見られてしまいのもまあ致し方なし。

ここでは、何故ペルシアの神であるウルスラグナが南イタリアに現れて、護堂と戦う事になったのかについて解釈が語られています。曰く、ウルスラグナはインド神話におけるインドラに相当する神格であり、ギリシアとペルシアの融和が図られヘレニズム文化が生まれた英雄アレクサンドロス大王――最近流行りのイスカンダルですな――には、ギリシャ神話のヘラクレスとも習合しており、アルタグネスというギリシア風の呼び名すら存在する。時代は下り、三頭政治のポンペイウスの手引きで、この神を信奉していた臣民の一部が南イタリアに移住したという話もあるそうで、ウルスラグナの出現場所としては全くの見当違いでもなく、ちゃんと由縁は存在するのだそうだ。

さて、個人的には原作にもある護堂の祖父、一郎氏の出演シーンは是非にあって欲しかったところである。護堂の女殺しは、半分はこの老人から受け継いだ血の濃さによるものであり、残る半分はこの老人の薫陶によって仕込まれた女性への接し方にあるからだ。尤も、王として女を受け入れ侍らしていくこととなる護堂とプレイボーイとして女の間を後腐れなく泳いでいく一郎氏とでは、女性との関わり方においては大きなスタンスの違いを感じさせるのが面白い。如何な血を分け薫陶を授けても、人間同じようには育たないものなのである。
しかし、重ね重ねこのスマートで洒脱な、色気すら感じさせる、現役で今なお年配の女性を中心にモテまくっているご老体をアニメで見られないのは残念だ。

正直、ゴルゴネイオンを日本に持ち込んだか、と祐理に追求される場面での護堂の受け答えはいただけない。彼は愚者ではあっても、愚鈍ではないのだから。むしろ彼の場合は察しよく、物事についても結構注意深く見ているし、思慮深くもある。この辺りは、中学時代全日本代表クラスの野球選手、それも捕手として活躍していた事も大きいのでしょう。そんな彼が、エリカからあの場面でわざわざ意味深に渡されたものについて、何も考えていないなどという愚鈍さは在り得ず、実際彼はこの神具の危険性は重々承知しています。承知していながら、まあいいや、と持って帰ってきてしまうあたりが愚者であり、祐理に周囲への配慮がなさすぎる、と叱られてしまうところなのでありますが。

プリンセス・アリス。原作ではまだこの段階では名前も出ていないのでサービスでしょうね。
まあ世界規模の災厄、とか危機感を煽らえても、白けるばかりなんですが。まだ【ナイトウィザード】の「週刊世界の危機」の方が切迫感がある気がします。何しろあちらは失敗すれば本気で世界が滅びますからね。それに比べて、【カンピオーネ!】の世界ではまつろわぬ神が復活して大暴れしても……まあサトゥルヌスがトルコでやらかしたことや、ロサンゼルスでアルテミスがもたらした災厄を鑑みれば
「被害は甚大だ!」
になるんでしょうけど、根拠を示さずに単に世界が滅亡すると煽られても燃えないんですよね。具体的にこういう危険性があるので、世界の危機だ、というのならわかるんですが、中身を語らず危機ばかり煽れば、自然と言葉が軽くなってしまいます。

作中では度々、ゴルゴネイオンについての言及があります。蛇の髪を持つ女の図柄。名前からも分かる通り、この石のメダルにはゴルゴン。ゴルゴン三姉妹と呼ばれる蛇の女怪を象徴したものが描かれており、それは当然有名なメドゥーサにもつながっています。
メドゥサについては、近年Fateに登場したこともあって、彼女が単なる蛇の髪を持つ怪物ではなく、古くは女神として崇められる存在だった、という話は良く知られるようになりました。そのメドゥサを女神から魔物へと剥落させ、さらにはペルセウスを支援して退治させ、その首を献上させた存在こそ 
ゼウスの娘 智慧と戦の神アテナであったのです。

その女神を霊視して導き出された言霊が、脱皮と再生を繰り返す不死の象徴たる蛇、大地母神にして夜の神、というアテナという女神から想起される事項からは大きく外れている違和を生じさせるものだということは覚えておいていいかと思います。

駅まで徒歩五分の立地条件♪ じゃないんだから、神社からバスも電車も使わずに走っていける近場にアテナが待ってるって、どんな都合なのでしょう。
第一話から凄い違和感なんだが、この「結界」設定は何なんだろう。原作ではそんな言及一切なかったと思うんだが。神様がそう望むことで人を遠ざける、と言うことはこの場面のアテナの振る舞いでもあったことだけれど。
あと、エリカはギリギリまで護堂とアテナの対峙に割って入りません。この世界において、まつろわぬ神と人間との差は絶対です。どれほど優秀で天才で強大な人間でも、人間である限りはまつろわぬ神を前にすれば芥子粒も同然の存在であり、聡明なエリカはその絶対差をキチンと弁えています。
そんな揺るがぬ真理ですらある神と人間の絶対差を覆してしまった存在こそがカンピオーネと呼ばれる者たちであり、故にこそ彼らはあれほどまでに畏怖される存在なのです。

エリカがそれでも神の前に立つときは、死んでもなお神に抗わなければならないと決意した時のみです。それが、その場に居る唯一の力ある者として、騎士として民の安寧を護るために逃げる事が許されなかったウルスラグナとメルカルトの神々の戦いの時であり、そしてこの時、主である護堂を護るためであったのです。
ぶっちゃけて言うと、神とカンピオーネとの戦いに割って入るのは、無粋極まるんですよね。

ていうか、あのアテナビームは何なんだ? 女神アテナの持つ力として、何か根拠のある力なのか?
【カンピオーネ!】の面白いところは、神だからと言って何でも魔法みたいに出来る、というわけじゃないところなんですよ。どんな力を使うにしても、武器を使うにしても、ちゃんとそれぞれその神にまつわる由来と意味が存在するのです。だからこそ、神との戦いにおいては、その神の知識を蓄えることで敵の力を知り戦略性を高める事にも繋がりますし、また一般的に知られるその神様の在り様とは全く異なる力を持ちだしてきた時などは、その神の原点が普通に知られているものとは全く異なる複雑な背景を持つものなのだということが知れ、大きな驚きと知識欲を掻き立ててくれるのです。
例えば、戦神アテナにしても、一般的に知られているアテナの姿からすると、蛇やフクロウ、夜や闇を象徴し、不死を司る、というアテナらしくない力を振るうことで、アテナという女神の謎を深め、その神性の解体への期待を募らせてくれるのです。
ところが、あんな訳の分からないビームなんぞを使われてしまうと、彼女がアテナである意味そのものが薄れてしまう。訳の分からない力を意味も持たずに使うのならば、彼女がアテナである意味も、アテナを知るために護堂がエリカとキスする意味もなくなってしまい、そもカンピオーネという作品のスタイルから基盤となる部分をなくしてしまうでしょう。

アテナビームに限らず、これは日常シーン、戦闘シーン関わらずなんですが、無駄で無意味な行為行動が多すぎるんですよね。アテナが護堂の警戒を解いて不意打ちにキスをしてくるシーンにしても、エリカを封じる意味もいちいち空間転移する意味もないので、戦闘シーンが無為に冗長になって緊迫感が失われてしまっている。
動きの一つ一つは良いだけに、実にもったいない。

さて、アテナのキスですが、何故あんなことをしたのか。これは、エリカのキスにも通じるのですが、というか今のところアニメの中では一切説明がされていないのですが、カンピオーネという存在は非常に高いレベルで魔術への抵抗力が備わっていて、外部から直接影響を与える呪術の類は人間の魔術師の手によるものは勿論、神からのものからすら抗し得るほどのものです。これは、攻撃のみならず補助や回復魔術にも当てはまるため、通常はカンピオーネには支援魔術というのは殆ど意味をなしません。ただ、例外があって、直接体内に吹き込む形ならば、術式が作用するようになっています。エリカが第一話、並びにこの第三話で口づけを護堂にしたのは、キスを通じて護堂にエリカの持つ知識を圧縮してインストールしている、と思ってもらって結構です。これについては、あとでもう一度説明します。
で、アテナのキスですけれど、さすがの彼女でもカンピオーネに直接外部から呪いをかける事は不可能だったので、和解の道を示すことで護堂の油断を誘い(彼がカンピオーネとしての闘争心を燃え上がらせるまでにかなりの時間がかかるスロースターターだと初見で見抜いたのは、アテナの戦神としてのセンスでしょう)、直接口移しで死の言霊を含んだ息吹を吹き込んだのでした。
本来、智慧と戦の神であるアテナが、このような冥府神の権能を使うというのは大変異常な事態でありまして、これはアテナという女神が一般的に知られている在り様と、原典ともいうべきアテナの元となった女神とは大きく性質が異なっているものだという示唆にもなっています。
アテナのローマ風の呼び方はミネルヴァ。智慧の女神ミネルヴァが使者として多様するのは、夜を飛翔する鳥であるフクロウ。それは、死を呼ぶ蛇とフクロウに関わる女神。

と、アテナに関するヒントを得ながらも、このままでは死は免れない護堂は、ここでウルスラグナの権能の一つである第八の化身「雄羊」を使っています。原作では、アテナ戦までに、カンピオーネとして未熟だった事もあったのでしょう、エリカから呼び出されて巻き込まれたトラブルで、既に数回この「雄羊」の権能を使用済みだったようでした。
権能の効果は死からの復活。発動条件は、自分が瀕死であること。同時に、瀕死の状態で自分の意志でこの権能を発動させなければならない。自動ではないので、瀕死の怪我を負った時に意識を失ってしまっていれば、はいそれまで、である。さらに、死んでから意識を回復するまで、それなりの時間がかかるのでその間は無防備になってしまう、という制約もあります。
エリカが無謀覚悟で神の前に立ちふさがり、護堂の身柄を守ろうとしたのはその為です。

さて、再びエリカとのキスシーン。なんぞ、ちゃんと教えるまで普通にやったら百日はかかるとか言ってますけど、原作では何時間もかかるから面倒でいや、という話になってます。まあ、百日というのは決して間違いというわけでもないんですよね。ただ、第一〇の化身「戦士」の権能である神格を切り裂く黄金の剣を鍛えるには、その切り裂く相手となる存在の詳しい知識が必要なのですが、単に一夜漬けで記憶したような知識では剣は鋭く鍛えられないようなのです。それこそ、その神にまつわる知識のすべてを連結し相関させた上で深く理解しなければならない。それだけの知識を理解しきった形で習得するには、それこそ百日近い勉強が必要、ということで決してここでのエリカの発言は間違いではないのです。
とは言え、決戦が目の前に迫っているのに、いちいち勉強なんてしていられません。実は、第一巻を読んだ時にこの神にまつわる知識を得るのに、ちゃんとフィールドワークする展開があったら、それはそれで面白い神話学としての本になるのになあ、なんて思った事もありました。
ともあれ、エリカはここで「教授」の魔術を護堂にキスで吹きこむことで、一時的に彼女の持つ膨大な知識を護堂にインストールし、剣を鍛えているのです。

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