終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?#01 (角川スニーカー文庫)

【終末なにしてますか?もう一度だけ、会えますか? 1】 枯野瑛/ue 角川スニーカー文庫

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〈人間〉は規格外の〈獣〉に蹂躙され滅びた。〈獣〉を倒しうるのは、〈聖剣〉(カリヨン)を振るう黄金妖精のみ。戦いののち、〈聖剣〉は引き継がれるが、力を使い果たした妖精たちは死んでゆく。
「誰が恋愛脳こじらせた自己犠牲大好きよ!」
「君らだ君ら! 自覚ないのかよ自覚は!」
廃劇場の上で出会った、先輩に憧れ死を望む黄金妖精(レプラカーン)と、嘘つき堕鬼種(インプ)の青年位官の、葛藤の上に成り立つ儚い日常。次代の黄金妖精たちによる、新シリーズ開幕!
セリオニスがまた静かに荒ぶっておられる!
あれから五年。まだ幼かったティアットたちが年頃の少女たちになるに十分な年月だ。それだけの時間、どうやら黄金妖精が兵器として消費されなかったらしき事実は幸いとするべきなんだろうけれど、同時に流れ作業のように年嵩の妖精から使い潰されていた頃の諦めが失われていた、ということでもあるんですよね。
使い潰され消えることが当たり前だった頃。誰もが諦め、受け入れていた時代。それを、ヴィレムとクトリたちはぶち壊していってしまったわけだ。黄金妖精のオチビたちは、生きることも育つことも、その喜びも長きに渡って体験してしまった。
だからこそ、より深い覚悟が問われることになる。
ぶっちゃけ、必死に繕って突っ張って立つティアットのそれは、グラグラのブレブレなんですよね。どっかにしがみついていないと立っていられないくらいに、今の状況に対して震えている。その彼女が拠り所としているのが、クトリとヴィレムの美しく儚い恋物語だったわけだ。
そうかー、当事者じゃなく、ちょっと離れたところからおちびの視点から見上げていたあの二人の物語は、そんなふうに装飾されてたんだなあ。あれは、ほんと、当人たちしかわからない世界だったんですよね。オチビが夢見ても、仕方ないか。その美談に、必死でしがみついていたとしても仕方ないのか。
彼らは、あの当時戦っていた子たちは、みんな誰かのためじゃなくて、自己犠牲なんかでもなく、ただひたすらに自分のために戦っていた、というのをティアットはまだ実感できていないんだろうなあ。まあ、そのへんをフェオドールくんにけちょんけちょんに貶し倒されてしまったのですが。
フルボッコである。
残酷な真似ですが、この少年、わかっててやってるから凄い。拠り所を踏みにじって、彼女の覚悟を台無しにして潰しつくした上で、背負う覚悟を据えてやがる。
ヴィレムはあらゆるすべてを受け入れてみせたけれど、このフェオドールは自分を取り巻くあらゆるすべてに反発し、反抗し、徹底抗戦しようとしている。その中で最たるものとして邪魔し尽くしてやると標的に収めたのが、黄金妖精たちの、ティアットの彼女なりの必死の選択だったのだから、粋も粋である。
それは、大変な道だぜー。
だが、踏破するための気概を、この少年は抱えている。まさに、ヴィレムとは正反対の性質でありながら、どれほど無茶でも決めたなら絶対にやり遂げる、その歩みは正しく同じ勇者である。
でもなあ、ティアットはあれ、恋愛脳で出来上がってしまっているわりと雑魚ヒロインだと思うんだけれど、恐らくボスレベルなのがラキシュの方なんですよね。
なにしろ、あの聖剣セリオニスの継承者である。セリオニスに見込まれてしまったのである。薄幸を約束されてしまったようなものじゃないですか。
だからこそ、フェオドールには。この嘘つきにしてあらゆる結末に対する反逆者である彼には、セリオニスの運命にすら、反抗して欲しい。青年位官と称されているけれど、フェオドールってその気質からも、ティアットと同世代ぽいところからも、少年って感じするんだよなあ。ヴィレムが成熟しきった大人であったのと、どうしても比べてしまうからだろうけれど。でもその若さに、期待してしまうんだ。ひねくれ者であまのじゃくで性格悪くて、だからこそ根本的なところで脇目もふらず真っ直ぐ突き進むであろう、彼だからこそ。

シリーズ感想