せ、関ヶ原ぁ!!

大谷刑部と石田治部の、そして徳川内府のあの史実通りの鎧衣装に興奮してたら、即座に終了したーー!!
こ、これが当時真田含めて全国地方の諸将が感じた、唖然呆然の関ヶ原顛末なのか。

第二次上田合戦は、これ完全に新しい学説に基づいてやってましたね。ちょうど、手元に歴史群像の最新刊で第二次上田合戦の記事があったので、それと照らし合わせながら見ていたのですが、なるほどなるほど。
旧来は、秀忠率いる別働隊が上田城の真田勢に足止めを食らったために関ヶ原の決戦に遅れてしまった、という定説でしたけれど、元々会津征伐のために派遣されていた秀忠勢はそのまま信濃で唯一豊臣方への旗幟を鮮明にして交通の要衝である上田城に陣取った真田昌幸の討伐を命じられていた、というのが昨今の説のようで。
上杉勢が最上勢に襲いかかり、周辺の地盤を固めに掛かったように、直江兼続がこの大乱は長く続く、というのが大方の認識だったんですよね。九州で暴れまわった黒田官兵衛然り、さり気なく各地に攻め込んでた毛利輝元然り。そして、それは石田治部・大谷刑部の西軍首脳部や、それこそ西に兵を進めた徳川内府すらもそうだったのでしょう。
西軍の戦略からすると、木曽川ラインで徳川勢を押しとどめているうちに畿内から親徳川勢力を排除することで豊臣政権内から徳川家康の影響力を取り除くことだったのでしょう。狙いとしては小牧・長久手の戦いの再現あたりでしょうか。当時の徳川家では10万近い軍勢を維持し続けることはかなり厳しい物があったでしょうし、豊臣恩顧の諸将たち、黒田細川藤堂池田加藤といった主だった将の根源地が西日本にあったのを考えると、これらの軍勢の維持も徳川が担わなければならなかったでしょうし、時間を置くほどに当初の結束の維持は困難となったことでしょう。まあ福島正則の領地が尾張だったのを考えると、ここを策源地としてそうですけれど。実際、東軍の兵站はここが要になったんでしょうし。

でも蜂起のタイミングとしては、悪くなかったんだよなあ。
この西軍のプランが崩壊したのは、予想以上に早く徳川家康率いる本隊の転進が速く、北陸から伊勢に掛けての日本中部フロントラインの制圧が終わらぬうちに、福島正則を筆頭とする豊臣恩顧勢が木曽川を突破した挙句、阻止ラインの要である織田秀信が守る岐阜城をわずか一日で落としてしまったところなのでしょう。この福島たちの速攻には徳川家康も泡を食ったらしく、かなり慌てて追いかけたみたいですけれど。実のところ徳川内府が江戸を出陣したのは岐阜城陥落を聞いてから、なんですよね。
で、さらにマズいことに、以前から不穏な動向を見えていた小早川秀秋が、整備を進めていた松尾山城砦に配備されていた守備隊を追い払って占拠してしまったわけです。
この時、石田治部たちは、地図見るとわかるんですけれど、関ヶ原より東に位置する大垣城に陣取っていたわけです。ところが、背後の街道の合流地点を見下ろす松尾山を小早川秀秋の軍勢が抑えてしまった。
これを聞き及んだ石田治部たちは大垣城を出て、小早川勢を抑えに掛かるのです。この行軍を、どうやら西軍、夜間にやったらしいんですよね。この時代に、夜間進軍して関が原に陣取ったのである。これ、なかなか凄まじい練度がないと難しいと思うのですけれど、それでも混乱は必定。
そして恐るべきは徳川内府で、西軍が関ヶ原の転身したと知るや即座に追撃を命じるのである。ここで戦国屈指の野戦司令官である徳川内府、野戦による決戦をやれる、と踏んだのではないかと。

これまでのイメージだと、関ヶ原ってお互いに決戦場を関が原に決めて、軍を進めて陣を張り、満を持して面向かっていっせーのーで、で両軍ぶつかった、という腰を据えての決戦、というものでしたけれど、むしろこうしてみると流動的な機動戦、それも西軍の態勢が整いきれてない中で東軍が殴りこみをかけた、という感じなんですよね。

……と、こんな風に今までの関が原合戦とは違う関ヶ原合戦が見れるんじゃないか、とワクワクしてまずは上田城攻防戦だー、と堪能していたのですが、佐助が現れたのを見て、もう血の気が引く引くw
実際の関ヶ原の詳報は来週語られるとは思うんですが、この高速関が原には度肝抜かれたなあ。冒頭でも書きましたけれど、まさに当時の距離による情報格差の恐ろしさを、真田丸の最初の頃を思い起こさせるように再び思い知らされた感がある。昌幸パパ、これに関しては本能寺の頃からとうとう克服できなかったんだよなあ。中央から離れた地方大名の限界を、パパはついに越えることが叶わなかったわけだ。

第二次上田合戦の方は、第一次のようなキツい攻防が起こる前に徳川勢が転進してしまったのをそのまま描写。でも、実際終始真田側が徳川勢を翻弄したのだから、勝利というのは間違ってないんですよね。
とはいえ、秀忠を支える本多佐渡の貫禄と指し手に陰りは見えず、この第二次上田合戦は真田昌幸と本多正信の謀将同士の手の指し合いという感じで歯ごたえありましたなあ。
何気に、秀忠のリアクションも面白かったんですよね。
「これは怒っても良いのか?」
と、一応聞いてから、いいんですよ、と言われてぐわーーと怒り出す秀忠くん。素直というか、家康と違う意味で律儀というか、初陣らしい拙さに愛嬌があっていいんだなあ。
織田信忠や北条氏直といった御曹司たちとはまた違う、二代目としての妙ある姿。いやー、今後が色々楽しみデスわ、秀忠くん。

と、その前の上田城に戻る前の沼田城攻防戦。上方から戻った稲姫とおこうさんが、見事に昌幸パパを騙し合いで上回ったお話。この逸話、たもとを分かったからには義父とは言え城に入れるは叶わぬ、孫と顔を合わせるのも許しません、と追い払いながら、あとで昌幸が逗留する宿所にこっそり子供を連れて訪れて、会わせてあげた、という話だったと思うのだけれど、信幸の子たちとの最後の顔合わせは上方から戻った時にした、という形にしたのか。
稲姫にしっかり従っているおこうさんがいい感じなんですよね。ここの夫婦はほんと、安泰だというのを感じさせてくれる、二人の正妻と側室の関係でした。

矢沢三十郎も、ここで兄上の方につけてしまうのかー。源次郎命、の三十郎がどうして兄上の方につくのかと思ってたんだけれど……。兄上のところに行くのだ、と命じられて、応とも否とも言えずに顔を歪めて「ぐぅぅぅ」と唸るしかできない三十郎の苦渋が、胸に染み入る。そして、内応してきた三十郎に「苦労!」と声をかける信幸兄ちゃん、ちゃんと三十郎の気持ちをわかってる風なのが、頼もしい。
そして、兄と弟、最後の別れ。戦場で、お互い見つめ合い、かすかに頷き合う二人の姿が、本当に印象的でした。

地味に、平野長泰さん、再登場が嬉しすぎる。

「ご無沙汰」
いや、本当にww