なんちゃってシンデレラ 王宮陰謀編 異世界で、王太子妃はじめました。 (ビーズログ文庫)

【なんちゃってシンデレラ 王宮陰謀編 異世界で、王太子妃はじめました。】 汐邑雛/武村ゆみこ ビーズログ文庫

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おでんのからしを買いに出た和泉麻耶(33歳職業パティシエ)は、そこで事故に遭い--次に目覚めたとき、12歳のお姫様に転生していた!!
しかも彼女には、年上の旦那(しかも王太子)までいる。
命を狙われたところに転生したらしいと悟った麻耶は、身を守るためにも夫と仲良くしようと決めるが!?
お菓子職人の名に懸けて、夫を餌付けしながら胃袋と犯人つかみます!!

思ってたよりアルティリエがイラストで見るとデカイなあ。年齢が12歳なのだからこのくらいと言えばこのくらいなのだけれど、ナディル殿下に持ち運びされるサイズとなるとちょっとでかい気がする。って、まだそこまで進行していないんですけれどね。
ウェブ版はArcadia版のときから読んでいて好きだったんですよねえ。イラストだとかなりキラキラした感じですけれど、実際の作品の雰囲気は非常に落ち着いていて上品な物静かさに満ち満ちている。これは静寂を好むナディル殿下のそれもあるんだろうけれど、何より主人公にしてヒロインたるアルティリエの中身が落ち着いた聡明な大人の女性だからなのでしょう。むしろ性格としては楽観主義者で物怖じせず行動的ですらあるのですけれど、浮ついたところがなく無茶と無謀の境界線を心得ているせいか危なっかしいところもないですからねえ。
大人びていながら庇護欲を掻き立てる絶妙なバランスの取れたキャラクター。それが、和泉麻耶が中身に入ったアルティリエという少女なのですけれど、今のこのアルティリエが形成されるには和泉麻耶だけでもアルティリエだけでもいけなかったんですよね。両者の要素がお互いに不可分になるまでに混ざり切る、そのために二人の人格というものについて徹底的に掘り下げているのである。人形姫と呼ばれ特殊な立ち位置にいたアルティリエ姫のこれまで歩んできた人生と、和泉麻耶という女性が歩いてきた人生を丁寧にすり合わせることによって、今のアルティリエ姫に揺るぎのない土台を与えているのである。
転生モノって前世の人間の知識や技能ばかりを武器にして扱っていて、その前世の人生については案外蔑ろにしがちなものも少なくないのですけれど、本作に関しては麻耶のパティシエとしての知識や技術やあくまでツールなんですよね。大事なのは、パティシエとして歩んできた和泉麻耶の人生そのもの。彼女がその人生をどうやって歩き、何を選んで、何を意欲的に取り込み、どんな展望を持って生きていたか、何を得て、何に充実を感じ、結果としてどんな人格を形成していっていたのか。その積み重ねがあってこそ、今のアルティリエという存在が成り立ち、これからどのように生きていくかを選び取るに至る実が生じるのである。その実あってこそ、彼女のパティシエや料理人としての知識が活かされるのである。
ナディル殿下がアルティリエという少女の沼にハマってしまったのは、彼女のわかりやすい聡明さではないのでしょう。和泉麻耶という成熟した人格が、人形姫アルティリエという少女の幼くも過酷で、しかし決意と誇りに満ちた人生を理解し飲み込んだ上で「彼女」となったその強い意思にこそ魅入られたのでしょう。
餌付けされる、というのはその発露に過ぎない。もちろん、ご飯は大事なのですけれどね。そして、潤いでもある。
ナディル殿下の歩んできた人生もまた、とても乾いたものであった以上、その潤いというものは誰もが想像している以上にかけがえのないものなのである。その重要さを、アルティリエ妃殿下はちゃんとわかった上でやろうとしているんだから大した女性なのであり、その理解度と実行性の難易度と希少性がわかる人はみんな彼女に頭を垂れるわけだ。

にしても、凄まじきは後宮モノに相応しきドロドロの情念が渦巻く人間ドラマである。面白いのは、アルティリエはその当事者であり中心に存在しながら、あくまでそれは引き継いだもの。実際に起こった悲劇と情念の絡まりは彼女たちの上の世代、親の世代における血脈のゴタゴタなんですよね。アルティリエもナディル殿下も、その煽りを真正面から受けることになってしまっている。ある種の尻拭いを、子の世代が押し付けられた結果になっている。過去の愛憎によって生じた負の情念によって、アルティリエは命すら狙われており、彼女の周りには死が敷き詰められたような有様にすらなっている。アルティリエが人形姫と呼ばれるほどに感情を表に出さなくなった根源でもあり、アルティリエの中に和泉麻耶が入り込む原因ともなったわけだけれど、場合によっては親世代からの引き継ぎではなく、さらに塗り重ねるようにアルティリエの世代でまた負の情念が生じてより深いドロドロの惨劇が生まれかねない情勢だったんですよね。
それを打開するきっかけとして、麻耶と混ざった今のアルティリエの決意があるわけで、ただただ胸を押しつぶされそうな重苦しい雰囲気になりそうな世界が、清々しさと凛とした落ち着いた空気へと整えられているのはひとえにアルティリエに尽きるんだなあ、と。

ナディル殿下がズブズブにアルティリエ沼にハマるには後編をまたなくてはならないので、それを楽しみに来月を待ちましょう。殆ど前後編構成と言ってもいいので、二ヶ月連続刊行は英断だったかと。