幼女戦記 (2) Plus Ultra

【幼女戦記 2.Plus Ultra】 カルロ・ゼン/篠月しのぶ エンターブレイン

Amazon
Kindle B☆W

金髪、碧眼の幼い少女という外見とは裏腹に、『死神』『悪魔』と忌避される、帝国軍の魔導大隊の指揮官、ターニャ・デグレチャフ魔導少佐。大軍を烏合の衆と嗤い、懸命の抵抗を蹂躙し、焼けといわれた街を焼く。彼女の姿は、帝国軍という暴力装置の矛先として先陣にあった。各国の思惑が入り乱れ、激化する戦局の中で、帝国軍参謀本部は、勝利の秘訣は、『前方への脱出』のみと確信する。
これ、確かにアニメ見るのがこの本を読むのより先か後かでだいぶ印象変わってくるだろうなあ。
自分はアニメが先だったので、デグ氏はあの容姿・碧さんの声で統一されております。
しかし、こうして読んでいるとデグ氏はホント他人を駒とか盾とか、自分の保身と出世基準で世の中見ている一方で、部下や上司に対しての評価はかなり高いんですよね。いや、周りの人間が基本的に優秀な人物ばかりなせいもあるのですけれど、何気に内心でも誉めっぱなしだし実際の言動でも評価と賞賛、報酬や気配りも欠かしていないので、厳しい軍人であるけれどそりゃ尊敬されるだろうな、と。客観的に見てたらデグ氏に対する周りの人間のそれは、勘違いじゃなくて妥当な評価なんだよなあ。
ヴァイス副長なんか、ダキア戦での叱責以降はもうデグ氏誉めっぱなしだし。読んでたら一挙手一投足に満足してますもんねえ。
ダキア大公国戦の、いわゆる実弾演習はむしろアニメ版の方がビジュアル的にもどれほどダキアが時代遅れかという点では分かりやすかったかも。あれに関しては映像の一目瞭然さが大きすぎましたからね。そんでもって、ダキア首都での避難勧告も、あれは悠木碧さんの幼女演技が効きすぎましたわな。
協商連合戦では、フィヨルド攻略戦のあと、あのアンソン氏がデグ氏によって撃墜された事件、あれアニメではかなり重要な脱出戦での攻防が省かれてたんですなあ。協商連合、デグ氏のお陰でとんでもないことになってるじゃないか。
これに関しては本当に偶然なのだけれど、そして客観的に調査しても偶然でしか無い、という結論しかでないんだけれど、サイコロ5つを三度振って三回とも1のゾロ目が出揃った場合、果たしてそれを人為的なものではなくあくまで偶然と、人間は信じられるかどうか、という問題。
信じられるわけがないのである。
おかげでありもしない謀略、内通者、情報漏えいなど防諜過程の徹底した洗い直し、という無駄な作業が絶対に原因が発見できないまま行われ続けるわけで、デグ氏の戦果はこれ何気に単なる協商連合の政治的残存勢力の根切りのみならず、アルビオン連合王国の情報関係を一時的にも機能不全にしたという意味で凄まじいものになっているはずなんだけれど、この事実を帝国の方はさっぱり把握してないんですよね。それもまあ当然なのですが。

小説ではデグ氏の大隊が北からライン戦線に戻されたあたりで新加入となるグランツ少尉。アニメだといつの間にかレギュラーとして居た彼ですけれど、原作だと途中からの補充兵だったのか。このあたりから、大隊でも戦死者こそ出さないものの、徐々に戦線復帰不能など離脱者が増えていくのね。ダキア戦の楽さはまだしも、協商連合戦などよりも西部戦線の過酷さがうかがい知ることが出来る。
その上、件のアレーヌ市制圧戦である。
これ、意外なことに後世でも法解釈的には問題はなく、帝国側が強硬措置に討ってでざるをえなかった事情と状況、戦況についてもちゃんと客観的に論評はされてるんだ。もっとヒステリーに悪意に拠る虐殺とレッテル貼られてもおかしくなさそうな状況だっただろうに。
そう考えると、デグ氏の徹底した戦場犯罪者として断罪されるのを避けるためにあれこれ駆使した予防措置というのは、ちゃんと機能していたんだなあ。もっとも、デグ氏からすると事前にあげておいた論文の実践が自分に回ってくるとは露とも思っていなかったわけですが。
デグ氏自身は立場や身の安全という保身主義的にこの虐殺を実行するリスクを鑑みてヤダなあ、と思っていたわけですけれど、傍から見ると軍人としては行わなくてはならないが人間として苦渋の決断をくださなくてはならない悲哀というふうに見えて、なぜか人間味があるように見えてしまうんですよね。手を下すはめになった部下からも恨みではなく共感という形で気持ちが離れることはありませんでしたし。

さて、この後のルーデンドルフ・ゼートゥーアコンビによる戦争芸術も、ひいてはデグ氏の示唆がきっかけであることを鑑みると、確かにこの世界大戦の様相の何割かはデグ氏が筆を加えたことによる有様なんですよねえ。結果として、ほぼ全部それに伴う実行・実践はデグ氏に回ってくるので自業自得を堪能しているのがなんともはや。
デグ氏、まんべんなくご愁傷様である。

1巻感想