キラプリおじさんと幼女先輩 (電撃文庫)

【キラプリおじさんと幼女先輩】 岩沢藍/ MikaPikazo  電撃文庫

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女児向けアイドルアーケードゲーム「キラプリ」に情熱を注ぐ、高校生・黒崎翔吾。親子連れに白い目を向けられながらも、彼が努力の末に勝ち取った地元トップランカーの座は、突如現れた小学生・新島千鶴に奪われてしまう。
「俺の庭を荒らしやがって」
「なにか文句ある?」
街に一台だけ設置された筐体のプレイ権を賭けて対立する翔吾と千鶴。そんな二人に最大の試練が……!
クリスマス限定アイテムを巡って巻き起こる、俺と幼女先輩の激レアラブコメ!
タイトルからして、完全にアウトな案件。主人公、おじさんかよ! ヒロイン幼女なのに主人公おっさんかよ! と、おっさんの自分、大いに興奮したのですが、主人公高校生じゃないか。今の御時世、高校生になったらもうおじさんなのか……。と、おじさんのわたくし、大変落ち込んだものですが、一応説明いたしますと「キラプリおじさん」というのは女児向けアーケードゲーム「キラプリ」の対象である女児から外れた、いわゆる大きなお友達を「キラプリおじさん」と呼称するものであって、中学生男子でも高校生男子でも喜寿を越えたご老人でもこの際「キラプリおじさん」にまとめられてしまうのであしからず、あしからず。
でもね、もう四十路近くのオジさんから言わせてもらうと、小学生も高校生も子供っちゃ子供なんですよね、こっちからの認識からスルと。なので、小学生と高校生のカップルって別にどったってこったないのですよ。せいぜい5歳差ですぜ。そんなんこの歳になると誤差範疇なので、ほんとどったってことないのである。
それに、この幼女とキラプリおじさんには年齢差とか関係ない関係が醸成されているのである。それは不倶戴天の敵であり、この街に二人と居ないキラプリに人生を捧げた同志、いや同じ惑星の宇宙人同士なのだ。
その生き様を誰よりも理解でき、その怒りも屈辱も歓喜も興奮も、その弾け飛ぶ感情の色や匂いや味の差異に至るまで、「分かる」のはこのお互いしかいない、という唯一無二のありよう。であるからこそ、何もかも理解できてしまうからこそ反発し、その細部に至るまですべてを共有できてしまうからこそ同じ世界を見ることが出来る、同じ宇宙に住むことが出来る、この世にあるはずのない見えざる路を、彼らだけが手を取り合って歩くことが出来るのだ。
同志である。いや、戦友、そう戦友だ。この幼女と高校生男子は性別・年齢の差異を超えて同じフィールドで戦い争い時に共闘する戦友なのである。そこに、無粋な俗世のしがらみなど意味をなさない。理解されざるを恐れるなど、もう遠い昔の話だ。
それでも、そんな同じ宇宙から外れてしまった孤高の彼らを、引き留めようとする者も居る。引き寄せようとするものもいる。それはきっとありがたいことなのだろう。そこにあるのは愛情であり友情であり、心から彼らのことを心配して差し伸べられた手なのだ。
それを振り払うことはきっと悪なのだろう。しかし、彼らは幼女と高校生男子の価値観を理解してはくれない。生きがいも生き様も、彼らの常識の範疇でしか処理してくれなくて、そこからさらに踏み込んで魔境たる彼らの世界を感じることはしてくれない。それを悲しむことはすべきではないし、その事実にお互い傷つくべきではない。それでも、選択は必要なのだ。

あなたは、何かに本気になったことがありますか?

幼女と男子高校生は、その「本気」になれるものに出会ったのだ。出会ってしまったのだ。その本気の領域のの中で、同じ「本気」を共有する戦友として、二人は出会ってしまったのだ。キラプリという宿命と出会い、そして運命と出会ったのだ。
でもね、もしその本気の「熱」を共有できなくても、理解できなくても、見守ることは出来たはずなのだ。しっと彼が本気の先に到達する瞬間を、見届けることは出来たかもしれないのだ。
いや、でももう「同志」であり「戦友」である敵である相方が存在してしまった時点で、外野は疎外感から逃れられないのかもしれない。幼馴染の彼女としては、自分のフィールドに無理矢理にでも引き戻さなければ、という強迫観念があったのかもしれないが、そうするにはあまりにも、彼は確固とした楔を自分の人生の中に打ち込んでしまっていたのだろう。手遅れだったのだ、きっと。
それとも、彼の本気を信じていれば、なにかが違っていたのだろうか。

本作を読んでいて想起したのが川上稔氏の傑作ゲーマー小説【連射王】である。
この作品もまた、ゲームセンターを舞台に余人の理解できないただその人だけの「本気」が、シューティングゲームのプレイによって結実していく、その有り様が凄まじい熱量で炙りあげられる青春小説でありました。
普通の人が価値をあまり認めないような代物に、その青春を、掛け替えのない時間を、人生をなげうって己のすべてを注ぎ込む。その孤高さと、やがてその「本気」を認め、信じてくれる人たちが現れる、独りよがりの戦いではなく、誰かに見守ってもらえる、誰かと一緒に戦える、そんな本気の結実に似たものが、このキラプリにも見事に顕現していたように思えたのでした。
辿り着いたと、思えたのでした。

もうここまで深く深く、魂に根ざした本気を共有してしまったら、もうこの幼女と高校生男子、離れられないんじゃないだろうか。親友よりも恋人よりも、深く得難い関係に至ってしまったこの二人。もうあかんのとちゃうやろうか。実質アウト判定である。

にしても、この作品世界における「小倉」がもうこの街だけ日本じゃないんですけど! 世紀末覇者とか、マッドマックスの世界なんですけど。小倉やべえ。マジやべえ。