始まりの魔法使い2 言葉の時代 (ファンタジア文庫)

【始まりの魔法使い 2.言葉の時代】 石之宮カント/ファルまろ 富士見ファンタジア文庫

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竜歴509年。将来の食糧危機を見据え、“私”は新たに農耕と牧畜を始めることを決めた。とはいえ、異世界の動植物に知見がない“私”は、その方法を他種族から学ぶべく、人魚や半人半狼、蜥蜴人の留学生を迎えることに。しかし、価値観の異なる生徒たちとの授業は困難の連続だった!そして、“私”が留学生を世界中から集めたもう一つの理由、それは魔法学校を有名にすることだった。いつか、“彼女”がこの場所に迷わずに戻れるように。―「でも、今はいないじゃない」剣部の一族の少女・ユウキの赤い瞳が真っ直ぐに“私”を映し出す。これは、すべての“始まり”を創った竜の魔法使いの物語。
全部覚えてる。ずっと覚えてる。それはとっても辛くて、とっても幸いなことなのだろう。薄れぬ記憶は、そこに在る人をずっと寄り添わせてくれるから。覚えてさえいれば、その人はずっとそこに居る。
去っていく人も嬉しいだろう。自分のことを覚えてくれている人が、ずっとずっと生きていてくれている、というのは、SFなんかのジャンルではよく語られることなのだけれど、それは一種の至高の希望なのだ。
でも、それじゃあ我慢できない子もいる。耐えられない娘もいる。もっと具体的に、傍に居続けたいと思うこともまた、間違いではないのだろう。アイはいつか還ってくると約束したけれど、ユウキは変転を続けながら傍に居続けることを選んだのだ。それは、彼女が先生の心を掴んだやり方であり、だからこそそれを貫こうとしている。
ユウキであり続ける、その後の子供たちはまたどういう思いを抱くのかは複雑なのだけれど。彼女たちはユウキであって、そうではない。その矛盾をどう処理していくのか。
心がつながっていても、同じにはなかなかなれないもんである。
言葉ならば、尚更だ。
人魚や人狼、リザードマンなど他種族の子供たちを留学生として招いて、本格的な学校を開始した先生とニーナ。他文化交流は、問題はあれど概ね上手くいっていた、と言っていいのだろう。言葉が通じるということは、意思が通じるということ。心も通じるということ。ならば、言葉が通じるのなら、価値観も共有できるはずだ。
という友好的な進化進展は、しかし言葉が通じるのに意思も想いも価値観も、何もかもが通じず繋がらず理解できない相手との遭遇によって徹底的に破綻させられる。
時に心しなければならない。
違う存在は、どうやったって違うのだ。
それは竜と人、それ以外の生き物とも通じること。人と竜との寿命の違いは自明なことであったけれど、今回長命種であった人魚の、そうかつて少女だったあの娘との永き別れを通じて、竜は自身の悠久の存在たることが、他とあまりにも隔絶していることを改めて思い知ることになる。そんな彼に寄り添い続けるニーナは、果たしてどこまで行けるのだろう。それは序章に描かれた未来の姿によってある程度確定していることとはいえ、エルフと竜ともまた違うことを忘れてはいけないような気がする。今はまだ、エルフのみんなは数百年経てもなお何も変わらず元気だけれど。
それでも、竜の先生が見守り支え、一緒に作り上げながら時代は進んでいく。今はまだ、時代は竜を置き去りにしていない。竜歴と名付けられた歴史の名前通りに、時代は竜と共に進んでいく。
いつ、世界が竜から巣立つのか。時代は新石器時代から鉄の時代へと移行しようとしている。農耕や放牧が未知なるモンスター、あのネズミに象徴される理解を越えた存在によって果たして成立が「地球」のものよりも或いはかなり困難で、自然発生的に広まるか悩ましい難易度になっているけれど、さてどうなることやら。鉄の時代は、どれほどの速さでやってくるのだろう。
個の寿命は短くても、種として確かに代を重ねるごとに技術も経験も着実に積み重ねていく人間は、果たしてどこまでたどり着けるのだろう。この人間たちも、あの剣部の一族の異様なまでの研鑽度合いをみると、生中な存在じゃないんだよなあ。あれやこれやであんな存在になってしまったユウキみたいなのもいるのだから、当然なのかもしれないけれど。
しかし、この時代って後代からみるとまだ神代に掛かってるんだろうから、シグとかルカ、リン、紫といった学校に関わった子供たちは、みんな未来では神様の一柱的に語られてそうだなあ。それはそれで想像が羽ばたくものじゃないですか。

1巻感想