おっもしろかったー。
去年の真田丸から引き続き、二年連続でこれほど面白い大河ドラマを見られるなんて。
こうして振り返ってみると、一年間というロングスパンで描かれる大河という枠を十二分に活かしきった作りや演出が随所に詰め込まれてるんですよね。
あの時の出来事が、後々に場所や人物、時に立場を変えて同じように繰り広げられ、そこで時に同じ展開に、そして時に似て非なる結末を迎え、ある時はかつての経験を踏まえて違う形へ持っていく。
最終回の自然を巡る話もあれ、万千代がかつてどうやって今川の首をよこせという要求から生き残ったのかを引き合いに出すのと同時に、家康の母である於大の方が引き渡しに応じるように現れた時点で信康切腹の展開をもう一度、というシチュも含まれてたんですよね。
あの時、家のために信康を殺せと進言した於大の方。今回も、家のために明智の子供である自然を殺せ、と言う彼女に、直虎は明智の縁者を探しに来た織田の配下に芝居を打って自然を守り通してみせる。
「ほら、殺さずに済んだではありませんか」
この言葉が、於大の方にどれほどの意味を持って響いたか。
ちなみに前右府信長公、よくよく振り返ってみると一度も「信康を殺せ」とは言ってないんですよね。もちろん、家康の正妻である瀬名については言及すらしていないし、謀反の発起人だったとされた瀬名の首持ってこられて、信康についてはご寛恕を。と言われて、ノッブは「家康殿の好きにしていいよ」とまで言ってるわけです。
登場からこっち、出る漫画間違えてませんか? な第六天魔王な感じだった海老蔵信長でしたけれど、ラストシーンのあの弟には東海の弓取りとしての箔をつけてやらんとなあ、と名物並べてどれ家康にあげようか、とウキウキしていた姿を見せられて、みんなはたと気づいてしまったんですな。
あれ?もしかして初めて登場してからこっち、ノッブの発言って全然裏表なく全部素の本心だったんじゃね?と。
忖度死、などという言葉が飛び交った先の本能寺でしたけれど、それからすると信康の件についても実は織田家配下と徳川家が忖度しまくっただけで、ノッブは全然そんなつもりなかった、という可能性も出てきてしまうんですよね。

「ほら、殺さずに済んだではありませんか」

だからこそ、直虎のこの言葉がざっくりと響くのです。それは信康の件のみならず、本能寺の変だって、小野但馬の死だって、それ以前にもそれ以降にもこの
「ほら、殺さずに済んだではありませんか」
で片付く自体がいくつもあったはず。それを、仕方なく殺して殺して殺して来ざるを得なかった戦国の世を描き続けたこのドラマの最後の最後に、この
「ほら、殺さずに済んだではありませんか」を成せた、というのは思えばこれほど感慨深いものもないんですよねえ。

本能寺の変、そして伊賀越えから僅か、わずかに三ヶ月後。直虎はこの世を去ってしまいます。あまりにもあっという間で、劇中でも「え?」と思っているうちにその時が来てしまいましたが……。
ああ、笛はそういう演出だったのか。そして、頭、頭も!? お迎えの中にしれっと混じってたカシラに「ええ?」となりましたけれど、亀、鶴、おとわの三人の中にちゃんとカシラも加わって、四人で、というのはなんかもうジーンと来てしまいました。
残された南渓和尚の慟哭が、あまりにも辛かったけれど。
そして、ついに訪れた元服による井伊直政の誕生。まさか作中で、しかも家康の口から、井伊家の通り名である直と、小野家の政をあわせて「直政」でどうじゃ? というお言葉を貰えるとは。

ラストは南渓和尚の「皆様、「船出」じゃ。いざ!」。ちなみにこれ、先年の真田丸の第一話のサブタイトル。「船出」なんですよね。
去年も真田丸で、大坂の陣の際に井伊の赤備えを見て、「向こうにも、ここに至るまでの物語があるんだろうな」なんてセリフで、来年の大河だった本作に援護射撃をしていたのを見た時は、大河ドラマでこんな面白いことするんだー、と思ったものですけれど、まさかまさか、こんな形での「返礼」があるなんてねえ。
小さな国衆の物語として、ある意味「真田丸」との対比を鑑みることも多かったこの「直虎」。戦国という世を、去年とはまた違う形で浮かび上がらせ、そこに生きる人々を見事に描ききった、素晴らしいドラマ。歴史大河ドラマでありました。


来年は西郷どんかー。正直あんまり期待はしていないのだけれど。
二年連続愛され系家康様をお目にかかれましたことですし、そろそろ最近の学説に基づいた魔王信長じゃない愛され系ノッブの大河も見たいところですのう。