叛逆せよ! 英雄、転じて邪神騎士2 (電撃文庫)

【叛逆せよ! 英雄、転じて邪神騎士 2】 杉原智則/魔太郎 電撃文庫

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かつて邪神を討ち倒した英雄、ギュネイは、敗戦国となった邪神王国・ランドールの荒廃ぶりを見かねて手助けをし、ついには城一つを奪還してしまった。そんな中、邪神降臨を目論んだ大司教の娘、ロゥラを旗頭とする一団が決起。かつてはギュネイも刃を交えた邪神王国四天王の生き残りを中心に、再び邪神を降臨せんとしているという。他方、ランドール再興の兆しを感じた周辺国からも大部隊が進軍してくる。邪神王国に迫るさらなる危難を前に、ギュネイの取る一手とは?というか、そもそも助太刀してていーのか!?英雄による邪神王国復興物語、第2弾!

…………(絶句)。
思わず声に出して「え!?」となってしまいましたよ。マジかーー。
まったく思いもよらなかった。一巻で明かされずにこの2巻の最後の最後まで引っ張るとは。そうなんだよなあ、一巻の時からそういうことだったんだよなあ。そう考えると胸中複雑極まりない。
というかですね、ギュネイは最初から知っていたんですよね? いやもうなんちゅうか、彼の異能というべきか宿業ともいうべきその力の恐ろしさ……恐ろしさというと言葉が違うな。ギュネイが見ている世界、感じているものがどれほど途方も無くて、切ないというかキツイものなのかを、最後の最後までギュネイがまったく読んでいるこっちにまで気づかせなかったことで、なんか思い知らされた感じなんですよね。
杉原さんの描く物語の主人公って、多かれ少なかれ他者と断絶した孤独さを纏っているのですけれど、最低限彼らの内面を覗き見ている読者サイドは、彼らの孤独を認識してあげられる程度の見守りは出来ていたと思うんですよね。
今回、素振りすら見せなかったギュネイはそれをすら、読者にすら抱えている孤独な世界を垣間見せなかったんじゃなかろうか、と幾ばくかの戦慄を覚えているのです。
作者が厳しいのはギュネイに対してだけじゃないんですよね。普通なら狂信者としてそのまま退場していたであろうジルや、ランドールのミネルバ王女、邪教集団の残党の首魁たるコンラッドにすら、容赦しない。妄想や信念や正義に耽溺するを許さないのである。現実を突きつけ、自分の所業を振り返らせ、恐ろしいまでに自身を顧みる機会をねじ込んでくるのだ。
彼らは、悲しいことに真面目で誠実で、色んな意味で自分に対して嘘をつけず、糊塗して見ないふりの出来ない人間たちである。そんな彼らに、自分が正義のためではなくただ復讐のために虐殺を繰り返していた人間であるということ。王族としての責任を放り出して逃げ出したい自分の本心を見せつける。故国の愛すべき人たちを救おうとしながら、その実塗炭の苦しみを背負わせるどころか、狂騒に駆られたまま娘を犠牲に、今また新たに故郷を地獄へと追いやろうとしていたこと。それらを容赦なく目の前に突きつけるのだ。理解を拒み、認識を閉ざし、盲信に逃げ込もうとするのを目蓋をこじ開けさせて、目に焼き付けさせるのである。
見てしまえば、拒めない、知らないふりが出来ない、彼らはそういう人間なのだ。正しい責任感の持ち主であるが故に、自分の責から逃れられない彼らは、のたうち回り苦しみもがくことがわかっていながらも、自らの意思でその責任を背負うのだ。
そういう彼らを、英雄と呼ぶのだろう。その最たる人間が、この物語の主人公であるギュネイなのである。彼はきっと正義の人ではない。でも、自らの出来ることからは絶対に逃げられない責任感の人なのだ。
一面の真実は、視点を変えればまるで異なって見える。かつての自分が正しいと信じた正義は、立場を変えてみたらまるで逆の価値を帯びてしまう。目を背けて知らないふりをしたくなるようなこと、特に自分の醜さや間違い、愚かさを目の前に突きつけられることになるのなら、尚更に直視できないだろうことに、ギュネイをはじめとした彼らは真摯に受け止め、愚直なまでに飲み込み、想像を絶するだろう心の苦痛に耐えながら、省みて克服し決して一方的な正義ではない、誰にとっても最善の結果を導き出そうとのたうち回る。その姿は、ひたすらに尊く、敬意が湧き上がってくるのだ。
彼らはみんな、決してうまく物事を運べない。失敗は想定外が重なり、こんなはずじゃなかったのにという事ばかりが起こる。それでも投げ出さない、諦めない、どんなにブサイクでも逃げ出さずになんとかしようと奮闘する彼らは、本当の意味で格好いいと思えてならないのだ。
ラストの、ディドーの願い、ギュネイへの約束には心打たれた。それは呪いではなく、きっと祝福なのだ。誰にも認められず受け入れられないかもしれないギュネイの孤独な戦いを、最後まで肯定し賛辞し祝福する、言祝ぎだったと思えてならない。

1巻感想