【公園で高校生達が遊ぶだけ】  園生 凪/トコビ  講談社ラノベ文庫

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瀬川エリカと俺、吾妻千里は昔からの幼馴染みだ。
小学校でも中学でも、そして高校でも、瀬川と俺は、公園で遊ぶ。
ダベったり、野球をしたり、走り回ったり、ちょっと喧嘩したり。
「とりあえず吾妻の中で、わたしを可愛さピラミッドの頂点に設定するといいよ。そうすればわたしを通して“可愛い”がわかる」
「瀬川を可愛さピラミッドの頂点に設定すると、具体的にどうなるんだ?」
「わたしに似てれば似てるものほど、吾妻は可愛いと認識しだすよ」
「じゃあ、電卓とかも可愛く見えんのかな」
「ちょっと待って。吾妻の中でわたし、電卓なわけ?」
そして今日も公園で、高校生の何気ない日常が紡ぎ出される――。
あー、甘酸っぺえ!
これ、公園って言うから田舎者なので遊具が2つ3つあるだけの団地の間にポツンとあるような小さな公園だと思っていたのですが、井の頭公園みたいなとまではいかないまでもそこそこ広い公園なのか。
なので、わざわざここを目的地として訪れる人だけではなく、公園の中を通り抜けて別の場所へ赴く人も通行人みたいに訪れるので不意の遭遇というのもありえる場所なのである。まあ見かけるやつも、見覚えのある奴らばかりなのだけれど。
言ってしまえば学校での部活モノに近しくはあるのだけれど同じ部活の、広げても同じ学校の生徒しか現れない部活モノとは、外部の人間が現れるという意味では少し違うのかも知れない。
ひたすら駄弁りが中心の日常ものというと、話としての筋もなく変化らしい変化もないものだと思われるかもしれないし、実際本作においても登場人物たちの関係に変化らしい変化は訪れない。
ただ具体的な出来事が在って劇的な変化が訪れる、ということはなくても同じような毎日を繰り返すことで浮き彫りになってくるものもある。お互いの関係や過去の想い出を共有している登場人物たち当人と違って、読者の側は彼らのことをよく知らない、ということも大きいだろう。駄弁っているだけでも、彼らの人となりや関係、思い出話から今の関係がどう醸成されていったのか、現状を彼らがどう認識しているのか、その自覚と実際のギャップというものも一見中身のないようなエピソードの繰り返しであっても、その積み重ねによって色彩を帯びてクリアに見えてくるものがあるということです。
エリカと千里の幼馴染の関係にしてもそうで、初っ端は結局彼らの自己申告をそのまま信じるしかない。でも彼らの益体もない雑談を聞いていたり、何気ない様子を見ているだけで、しばらくすると「んんん?」となってくる。これに周囲の友人たちの対応や進言や、どストレートな物申す指摘なんかも加わってくると、さらに「んんん?」となってくるし、外からの刺激に対して結構あからさまな千里たちの反応なんかもあったりして、「おいおい、君たち〜」なんて指で脇腹を突きたくなるような感じになってきたりするのである。
さても、彼らにその自覚があるのかないのかは微妙に定かではない。相手の気持にも自分の気持にも気がついていないほど鈍いようにも見えないけれど、現状が彼らの安定した心地よい関係を脅かさない以上、積極的にどうこう動いていくつもりはないようだ。その意味では、やはり変化はない。
ただ……。最初に在った彼らの自分たちの関係への認識。すなわち冒頭のプロローグでの回想における「ちいちゃんはわたしがいないとだめだめだなあ」が、ラストの千里のセリフとそれに対するエリカの「ね」へと至るのには、見事な作品としての構成が伺える。
ただ駄弁って遊んでフザケあってしているだけのように見えて、千里とエリカの二人の関係が最初と最後では、こうして見事にひっくり返って見えるようになるのだから、終わってみれば思わずうむむと感心の唸りを漏らしてしまった。
これで、確かに当人たちの間では変化はないのである。千里は最初のまま考えは変わっていないだろうし、エリカも結局の所最初からそう思っていたのだろう。変わったのは、見ていたこっち、読者側の認識だけだ。
それがなんとも鮮やかで、しかし押し付けがましくなく、ただサラリとこの幼馴染とその友人たちの騒がしくも甘酸っぱい関係を味わわせてくれる。それがなんとも心地の良い作品でした。面白かった。