【今昔百鬼拾遺 河童】 京極 夏彦 角川文庫

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「そうですね。その河童が――誰かと云うことです」
「河童が誰かって、中禅寺さんあんた」
小山田は顔を顰めた。


昭和29年、夏。
複雑に蛇行する夷隅川水系に、次々と奇妙な水死体が浮かんだ。
3体目発見の報せを受けた科学雑誌「稀譚月報」の記者・中禅寺敦子は、薔薇十字探偵社の益田が調査中の模造宝石事件との関連を探るべく現地に向かった。
第一発見者の女学生・呉美由紀、妖怪研究家・多々良勝五郎らと共に怪事件の謎に迫るが――。
山奥を流れる、美しく澄んだ川で巻き起こった惨劇と悲劇の真相とは。

百鬼夜行シリーズ待望の長編!
益田くんのあの話の脱線っぷりって前からこんなに酷かったですかね? 余計な話はいいから必要なことだけ喋れ! と確かに言いたくなる。あの温厚快活な中禅寺敦子さんの益田くんへの対応がどんどん冷え込んできて、虫を見るような無機質で突き放したものになっていってた気がするんですけど。おかげさまで、関係ないのになんかハラハラしてしまったじゃないですか。意外と、辛辣な敦子さんって京極堂によく似てる感じで、やっぱり兄妹なんだなあと変な所で納得してしまったり。
多々良先生は相変わらずうるさいことで。って、自分この人が主人公の「雲」は読んでなかったのか? 京極先生のシリーズはちょっと自分の中で錯綜してて、把握してないのが結構あるんだよなあ。多々良先生の担当を敦子さんがしているとか知らなかったし。あのやたらうるさいというか自分勝手に喋り続ける人に手綱つけて黙らせて言い聞かせられるって、何気に凄いことしてるなあ敦子さん。
交通網が発展して人の動きが全国的に早くなり、流通網の充実によって情報が飛躍的に行き交うようになった近代。特にテレビジョンが普及しだした戦後は、日本国内での情報の均一化が飛躍的に進み出す端緒の時代なんですよね。そこでは、河童という存在の地方での固有性が加速度的に喪われていく時代でもあったわけで、その喪われていく地方独自の固有情報を嘆かわしいと叫ぶ先生に対して、ばっさりと論破する敦子さんがなかなか印象的でした。とはいえ、喪われていく時代の特色をそのまま歴史の向こう側に忘れてしまうのではなく、正確に記録し後世に残していくことは無駄ではなく千金の価値があることなのでしょう。多々良先生たちのような人たちが居てこそ、本作のような妖怪小説が後世に書かれる余地があった、というのを思えば尚更に。

今回の事件は「鬼」の話よりもなお、一つ一つ得られていく情報によって事件の全体像が順番に見えてくる階層構造になっていたなあ、という印象で。
それ一つ一つでは何のことかわからないパーツが、最後の探偵役あるいは憑き物落としなどによって一気に組み立てられて、あっと驚く真相が暗幕を引き落とされたようにパッと理解できる形で完成する、というたぐいのものじゃなくて、ほんとに基礎から順番に、下から順番に積み上げられていってその姿形が段々と見えてくる、という感じなんですよね。
「そうだったのか」という理解と納得が一つ一つ積み重なっていく風というか、ジグソーパズルを下から順番に当てはめていきその姿が明らかに成っていく感じ、というべきか。
謎が謎を呼び最後に一気に詳らかになる、という展開も大いに興奮を呼ぶものですけれど、こうやって情報が集まっていく過程で事件の実態が順番にわかってくる、という展開もまたこれだけ綺麗に組み上がっていくと凄く気持ちいいんですよね。わだかまりなくスッキリとしていく、という風な。
全体像が段々とわかっていながらも、まだ見えていない未知の部分がまた絶妙で「ああ、だいたいわかっちゃった」という風にならないから、見えてくるからこそ先が、隅々まで見えた全体像が気になって仕方なくなる、という感触になっているのである。
特に、どうして次々と事件の関係者が死んでいくのか。どうしてズボンが切られて死体の下半身がむき出しになっていたかの理由については早々にわかるのに、その死の要因は最後まで不明のままでしたからね。
しかし、「鬼」に引き続いて女子学生の美由紀ちゃんがビシっと犯人にイイこと言って啖呵切るの、このシリーズの決めになってるのか。美由紀ちゃんが「絡新婦の理」で得た人生経験値ってこうしてみると大変なものだったんだなあ。そしてもっと言葉をもっとうまく使いたい、言葉でちゃんと伝えたいという願望は、このように実行され叶えられていっているのか。

今昔百鬼拾遺 鬼 感想


京極夏彦作品感想