【茉莉花官吏伝 皇帝の恋心、花知らず】 石田 リンネ/Izumi  ビーズログ文庫

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後宮の女官の茉莉花は『物覚えがいい』というちょっとした特技がある。そんな彼女は、名家の子息のお見合い練習相手を引き受けることに。しかしその場にきたのは、お見合いをしてみたかったという皇帝・珀陽で!?しかも茉莉花の特技を気に入った珀陽は「とりあえず科挙試験に合格してきて」と言い出し…!?皇帝に見初められた少女の中華版シンデレラストーリー!

やる気のない人に能力があるから出来るからと仕事押し付けないでー。
能力を活かせ、才能を活かせ、折角の才能を腐らせているのは勿体無い。存分に力を振るえるのは、力に見合う地位につくのは幸せだろう。という善意からの推しは、時として相手を苦しませる事になる。
瞬間記憶能力、とも呼べる一度見たものは決して忘れないという記憶力を持つ茉莉花の才能を発見した珀陽によって、女官という立場から無理やり文官として取り立てられてしまった茉莉花。本人は女官という立場に満足していて、それ以上は何も望まず周りとの軋轢をさけ、ひっそりと穏やかに日々を過ごす事に幸せを感じていたのに、かなり強引にやりたくもない立場に立たされてしまう姿になんとも身につまされる気分にさせられました。ほんとにね、出来るからといってやりたいわけじゃないんだよ! ほんとはやりたくないんだよ! というシチュエーションはそりゃもう身に覚えがあるってなもんじゃないので、茉莉花の皇帝からの命令というどう足掻いても逃げられない絶望感には思わず同情してしまったのでした。

でも、茉莉花の場合のやる気のなさは、決して怠惰などの感情からきたものじゃなかったんですね。彼女が語る『ちょっと物覚えがいいだけ』の能力。彼女が自分の絶大な能力をこう語るのは、客観的な自己評価が出来てない、というわけじゃなく過去に幾度もこの瞬間記憶能力によって覚えた事を何ら活かす事が出来ずに、期待してくれた周囲に失望され突き放され呆れられた事でトラウマに近いものを抱えてしまっていたからなんですね。
彼女にとって自分の能力は本当に『ちょっと物覚えがいいだけ』という意味しかなかったのだ。物事を丸暗記しても、暗記した内容を理解していなければそれを扱うことは出来ない。いわば、彼女は自分の能力に不信をいだいていた、いや違うか、この能力を効果的に扱えない自分自身に失望していた、というべきか。
だからこそ、茉莉花には余地があったのだ。自分の能力を存分に使いこなしたいという願望があり、その能力を存分に震える仕事に就いてみたい、本気の自分を見つけたい、という。
その意味では、珀陽には人を見る目があった、という事なのだろう。単に茉莉花の能力だけに目を向けていたなら、決して彼女の本気を引き出すことはできなかったはずだ。彼女の中に燻っていたものを見極められたからこそ、それを刺激し引っ張り出すことができたのだから。
世間には彼は文武を極めた万能の天才皇帝と評価されているけれど、彼自身は自分を天才などと想っておらず、せいぜい凡人が努力して相応のものを積み上げただけに過ぎない、と思っている。だからこそ、自分などでは及びもつかない本物の天才を集めようとしていて、その一貫として茉莉花にも目をつけたわけだけれど……。自分ひとりで何でもこなしてしまうワンマンなどより、彼のように多方面の人材を集めて活かすことの出来る人の方が上に立つ人間としては際立ってるんですよね。しかも、珀陽という人物はあらゆる方面に通じて、余人では理解できないだろう天才の言葉を聞き拾い理解できるというような評価を、側近たちから受けているような人物だ。
これもまた、天才の一種だと思うんですけどね。
でもならば、そんな天才の言葉を聞ける天才の、彼の言葉を心を理解できる理解者はいるのだろうか。自分は中継ぎの皇帝だ、と割り切っていて自分自身の「私」を消し去ってしまっているような珀陽。そんな彼がはじめて自分のことを語り聞かせてしまった相手である茉莉花の存在は、果たしてこの若き皇帝にどんな意味をもたらすのだろう。
ただ見たものを丸暗記するだけだった茉莉花が、本気を出して皇帝の側近の子星に教えを請い、彼の指導を受けてはじめて個別に記憶野に浮かんでいるだけだった意味を持たない「記録」が、シナプスが連結していくようにバチバチと繋がっていって「知識」となり、膨大な生きた情報となって彼女の血肉になっていく覚醒編はゾクゾクするものがありました。人が「化ける」瞬間というのはやはりくるものがありますなあ。
最後の語りからすると、茉莉花はずっと官吏として生きるみたいだけれど、それだと果たしてラブストーリーとしてはどうなるんだろう、と疑問も湧いてくるわけで、うん先も気になります。