【終末なにしてますか? もう一度だけ、会えますか?#09】 枯野 瑛/ue 角川スニーカー文庫

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憧れに届かなくても、 それぞれの明日のために。シリーズ最終章その第二幕

39番浮遊島の〈最後の獣〉を退け、浮遊大陸群の滅びに猶予を勝ち取ったあの日から、五年。
「オルランドリ商会第四倉庫に、『鏃(やじり)』の提供を要請する」
未だ2番浮遊島に神々を囚える〈最後の獣〉を排除するほか、世界を守る術はなく――
最後の決戦を前に、妖精兵たちはつかの間の日常を過ごす。
「アルミタはさ、今でも、ティアット先輩みたいになりたい?」
かつて憧れていた景色に手が届く今、幼き妖精兵に訪れる葛藤――そして迫る決意のとき。
五年という歳月はそれだけで十分長い。15歳だったティアットは20歳を越えた大人になり、憧れていたクトリよりもずっと「女性」になった。周りからはあの頃と全然見た目変わらないとからかわれて拗ねたりしているみたいだけれど、そんなことはないよ。貴女は十分魅力的な大人の女性になってる。10年前、あの小さくてころころして無邪気に走り回っていた10歳のチビ助が、今や立派な英雄様だ。相変わらずの乙女脳で、若干エージェントみたくなっているけれど。
というか、マルゴと組んで見事に工作員紛いの影働きをやってますよね。ある意味お神輿にされた英雄じゃあないって証明になるのかもしれません。
そうやって、自分の信じた道をひた走っている。フェオドールとの対立を未だに思い悩んでいるけれど、それに引きずられているわけではなく、それを拠り所にしているわけでもなく、彼のやり方を認めない事をうまく消化して自分の在り方に溶け込ませているように見える。悩みながらももう迷ってはいない、心に余裕を持って定めているティアットは一つの完成を見たようにも見える。
フェオドールのような思想と兵器だった黄金妖精と同じ自分を費やす事に疑いを抱いていない定めを抱えた翼人の娘を、その意思を否定せず認めながらしかしそのまま潰える事を許さずに救ってみせたティアット、そしてマルゴ。それは象徴の一つなのだろう。過去を繰り返させず乗り越えた。
彼女達は大人に、なったのだ。
対して今17歳。ただコロコロしていた幼児であった頃から、一廉の少女になったアルミタは今まさに悩み迷い己の在り方を見出そうと必死にあがいている少女真っ盛りだ。妖精倉庫で屋上から無鉄砲に転がり落ちて、クトリに危機一髪助けられたあのチビ助が一端の小娘である。
彼女の世代は、旧式の調整を受けたアルミタとユーディアを除いて、既に兵器としては成り立っていない。二人とて聖剣との適合は済ませているものの、戦闘訓練などは殆ど行っていなくて、本当にただの小娘だ。
本来なら不要となって廃されるはずだった、幼体のまま消え去る運命の黄金妖精。その未来を繋いだのは、ティアットたちの世代だ。妖精が兵器として必要とされないだけの未来を作ったのはクトリたちの世代だ。そうして繋いできた世代を、今アルミタたちはどう受け取ろうか試行錯誤している。どう、次に繋げていこうか、そう考える段階に来ていると言っていいかもしれない。
そうやって、未来に繋いでいっている。
五年という歳月と世代の進展は、そんな思いを馳せるに十分な月日だ。

この世界はいつも終わりと背中合わせだった。いつ、様々な要因で潰えてもおかしくないほど不安定で脆い代物だった。妖精たちと同じく、いつ儚く消えても不思議ではない世界だった。
ただしく終末であり続けていたと言える。
今もまさにそうだ。浮遊大陸の存続そのものが、もはや終わろうとしている。一年を持たずして、今世界は滅びようとしている。
それなのに不思議と、今までよりも随分と遠くが見えている。
今、世界の未来に途絶も終わりも感じない。
それは、この世界で最も儚く脆く、終わりを遠ざける最終兵器でありながら一番その存在が終末に近似していた黄金妖精たちから、泡と消えゆく儚さが見えなくなったからではないだろうか。
少女のまま大人になること無く消えていくはずだったティアットやコロン、パニバルは今成年を越えて大人の女性として充実期を迎えている。
二十歳を超えていつ終わりを迎えても不思議ではなかったアイセア、ラーントルク、ノフトたちもそれぞれの人生を歩みながら今なおそこに終わりの影は見えない。それぞれが見つけた人生の上をしっかりと踏みしめて進んでいっている。
そして、フェオドールやラキシュ、そしてティアットたちの尽力によって、そもそも未来が与えられていなかった妖精の幼体たちは兵器としての役割すら課せられないまま、ただ生きることを許された。今の彼女達は、ただの普通の子供たちだ。戦う必要のない、未来を自分で選べる子供たちだ。
自分で、戦うと決めることの出来る妖精たちだ。
ヴィレムとクトリからはじまった、いやずっと昔の黄金妖精たちから紡がれてきた、託されてきた未来は今、アルミタたちの世代で結実しようとしている。終わりを前提としない、ただ生き続ける事を認められた妖精たち。そのもう消え去る事無く続いていくだろう妖精たちの姿が、不思議とこの世界そのものと重なるのだ。
ヴィレムやフェオドールたちが守って繋いだ未来は、それだけ太く逞しく確かなものとなって結実した。
今はまさに終末で、最終決戦は目の前だけれど、そこに不安はない。
そんな風に感じさせてくれる五年後の世界であり、最後の戦いを前にしたお話でありました。

グリックは、この物語がはじまった当初から短命種の緑鬼族という事でひときわ早いサイクルで歳を重ねていて、五年前の段階で既にもう結構イイ歳みたいな言い方をされていたので、今回前の巻から五年後ということで覚悟はしていたのですけれど、やっぱりそうだったか。もう見送られていたんですね。
見送ったのがノフト、というのは妙にグリックの事気に入っていた素振りを見せていた事もあって不思議ではなかったのですけど……わりと真面目にこの五年の間で懇ろな仲になったんじゃないですかこれ。引き取った孤児や事情あって両親と離れた緑鬼族の子供たちに母ちゃんと呼ばれて奔走しているノフト。若くしてオッカサンという貫禄まで身に纏っちゃってる彼女ですけれど、グリック健在だった頃はこれ二人して夫婦めいた格好で父ちゃん母ちゃんと慕われてたんじゃないだろうか。
……やたらと未亡人感出しまくってたアイセアに引き続いて、こっちはガチで未亡人? なんかこう、恋愛とか恋人とかの段階をぶち抜いてノフトが一番、こう、大人になっちゃった感があって感慨深いというかなんというか。
……未だにちびっ子たちに「お姉さん」呼びさせているナイグラートさん、いかがですか? ノフトはかーちゃんですよ、母ちゃんw
ラーントルクも、大賢者の後始末やら何やらで彼女自身が大賢者の後継みたいな貫禄を持ち始めていて、出来る女を越えた雰囲気出し始めてますし(でもまだポンコツなんだろうけど)。
体壊して引退して余計に深窓っぽくなってしまったアイセアと合わせて、三人とも色んな意味で大人の女性をさらに越えた妙齢の女性になっちゃったなあ。
もう変わらないクトリと違って、みんな随分と変わってしまった。
そして、もう一人の変わらない少女、ネフレン。うん、色々と「もし大人になっていたら」を想像してしまうクトリと違って、ネフレンは色んな意味で想像が働かないまま今のママ固定されてしまっている。現実にも、あの頃のままもう変わらなくなって、でもまあこの娘はそのまま成長していてもあまり変わらなかったような気もするなあ。
半分神様になってしまったネフレン。ただ、危惧していたほど世界を担う負担にボロボロになっていなかったのはちょっと安心した。
ヴィレムが……そうだ、ヴィレムの野郎、こいつシレッと……本当にシレっと記憶元に戻ってるじゃんw フェオドールと同化していたのもいつの間にか解消されちゃってるし。いや、フェオドール成分どこに出てったんだよw
それはともかくとして、ヴィレムの現状、今度こそ人間じゃなくなった、という事なんですよね。生きていなくて実質ちゃんと死んだ、みたいな言い方しているけれど、それはもう変わらなくなった、という事でもあって……。うん、そうかー。ネフレンとしてはもう離れる心配をせずにずっと一緒に居られる、という事なのかも知れない。
それもまた、このあともずっと続いていく事を連想させられる事柄の一つだ。
その一方で、終わりを迎えようとしているものもある。
ヴィレムの、長い長い戦いの人生も、ようやく終わろうとしてるんじゃないだろうか。いや人生が終わり、というわけじゃなくてね。ずっと守るため救うため剣を振るって戦っていた準勇者としての彼。人類が亡びる前も、滅びてしまったこの世界でも、彼はボロボロになりながら時として自分自身を失いながらでも戦い続けていた。強さをもって、救おうとしてきた。
でも、この巻で一つの否定が提示されてるんですね。最終決戦において、彼が戦力として必要ではないと判断したアルミタたちが、最後の獣との決戦において彼女達が必要とされる場面には、強さは必要とされないかもしれない。強くはないアルミタたちこそが、鍵になるかも知れない。
それはヴィレムの今までの人生の価値観にはなかったもので、それが証明されたとき、ようやくヴィレムは剣をおけるんじゃないだろうか。それを語ったのが、彼を一番傍で見続けていたネフレンだった、というのもまた、色々と考えさせてくれる。
いずれにせよ、次こそがこの物語の終わりとなる。それが、この世界とそこに生きる人たちの終わりではない事を信じている。


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