【こわれたせかいの むこうがわ 〜少女たちのディストピア生存術〜】 陸道 烈夏/カーミン@よどみない 電撃文庫

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飛び出そう、この世界を。知恵、勇気そして大切なともだちの想いとともに。

《フウ》――最下層の孤独少女。
友は小鳥のアサと、ジャンク屋の片隅で見つけた、古いラジオのみ。
《カザクラ》――マイペースな腹ぺこガール。
出会った瞬間からフウを「お兄ちゃん」と慕い、陽気な笑顔でつきまとってくる。
そんな二人が出会ったここは、世界にただ一つ残るヒトの国。異形の怪物たちが支配する果てなき砂漠の真ん中で、ヒトビトは日々の貧苦を喜びとし、神の使いたる王のために生きねばならない――。
だが、彼女たちが知る世界は、全部大ウソだった。
たくさんの知恵と一握りの勇気を胸に。今、《世界一ヘヴィな脱出劇》が始まる。
第26回電撃小説大賞《銀賞》受賞作。
風の名を持つ、二人の少女の物語。

【このライトノベルがすごい2020】のランキング内に名前があがっていたのをきっかけに手にとった作品だったのですが、これがまたもうすげえすげえ作品でした。こういうきっかけがなかったらなかなか読む優先順位をあげることはなかったでしょうから、このラノをはじめとした多くの人がこれは面白いんだ!と好きな作品を持ち寄る企画は得難い出会いのチャンスなんだなあ、と実感しました。
チオウと呼ばれる砂漠の国。その最下層で暮らす少女フウは、自分の無知故に病気の母を死なせてしまう。苦しむ母のため死地をくぐり抜けて薬を貰って帰ってきた彼女を待っていたのは、母の死。でもそれは、病による死ではなく脱水症状によるものでした。母に必要だったのは薬ではなく水だったのです。でもフウはダッスイショウジョウなんて言葉を知らず、人が水と塩を必要とする生き物だということを知らず、生きるために最低限の知識すらも有していない無知で無学な子供でしかありませんでした。
それでも、母に教えられたチオウのシステムの元、ただ生きるための方法に従うことで日々を乗り越えていた彼女は、ある日なけなしの水と食料を配給してもらうための金券で、亡き母が口ずさんでいた歌と同じ歌詞のメロディが流れる「ラジオ」という機械を衝動的に買ってしまいます。
遠い過去に滅びた旧世紀のラジオ音源を、物好きな誰かが電波に乗せて放送しているのだというその古びたラジオは、ただ漠然と生きるために生きるフウの慰めとなります。
でも、それはただ心地よい音楽を流すだけのものではありませんでした。はるか遠い昔にもういなくなったラジオの中の人たちが、様々な学問の先生とともにかつて人類が持っていた多種多様な知識を丁寧な解説と説明とともに送る教育番組チャンネルだったのです。
基本的な科学知識も物理現象も社会のシステムについても、本当に何も知らなかったフウは、最初ラジオの中の先生たちが何を話しているかも理解できませんでした。意味不明な単語を積み重ねてわけのわからない理屈を組み上げていく彼らの話を、しかし彼女は飽きること無く聞き続けます。やがて、繰り返し繰り返し聞くことで一つ一つの言葉に、単語に理解が及んでいき、連鎖的に話の内容へと理解が及んでいきます。そうして、ゆっくりとゆっくりと、フウの中に知が蓄積していくのです。
彼女の中に、知識と智慧が息づいていくのです。
この世界の成り立ちを、この大地と空が織りなす世界の仕組みを、それは物理学であり地面を形作る土と砂と岩の意味を語る地学であり大気の組成であり、自分たち人間の体、人体の仕組みや医療という概念であり、心理学などに基づく人同士のコミュニケーションの方法であり、人が集まって形成される社会という存在の構造であり、人が集まることで生まれる経済という概念であり、経済活動の中で起こる様々な人間行動学であり、お金のやり取りの考え方からはじまる商売の仕組みであり、交渉や取引といった行動であり、機械や流通や金融、心の問題社会の問題肉体運動の問題。
そうした、人類という種が長い歴史の中で積み重ね学び取っていった知識を、智慧を、フウは身につけていくのです。独学で、いやラジオの中の先生たちの教えによって。彼女は貪るように知識を欲して、蓄えていったのです。
そうして、人が生きるには水と塩が必要という事すら知らなかった少女は、いつしか王都の商人たちとしたたかに駆け引きをして多大な金銭を左右するまでになってました。ラジオの電池を手に入れる僅かなお金を手に入れるのにも体中傷だらけになって必死に走り回っていた彼女が、社会を知り人間関係の機微を知り商取引の通念を身に着け、経済活動の真理を頭に叩き込み、王都の商売人たちの間でも知る人ぞ知る存在になっていったのです。

何も知らない何の知識も持たない何の智慧もない、無知で無学で無教養だった子供が。
何も知らないが故に、何も出来なかった娘が、学ぶことでここまで何でも出来るようになる。
これを「叡智」というんじゃないでしょうか。
これこそが「人類の叡智」の証明なんじゃないでしょうか。
かつての人類の繁栄が遠い過去となり、人という種族が大地の隅っこの砂漠の上にへばりつくように生きる世界になってしまったからこそ。人間社会の恩恵を何も受けず、獣同然に生きてきた娘が対象だったからこそ。
その喪われた遠い過去から届けられた人類がこれまで積み上げてきた「知」を受け取って、賢人となるフウのような娘の存在はまさに「人類の叡智」の体現者に思えたのです。叡智の結晶であり、人類の歴史の証明に見えたのです。

この感動たるや!!

人類の終末後、ポストアポカリプスのその果て。それ以上行く先のない閉塞の終着点としてのディストピア。それが、フウたちの生きる街「チオウ」の姿に見えました。
真実を覆い隠され、ウソの言葉に事実を塗り固められ、必要以上の知識を得ることを害悪として罪として定められ制限され断罪されるディストピア「チオウ」。ただ生きていくにはきっと充分で、しかし人類の可能性の行き止まり。そんな閉ざされた発展性の乏しい世界で、それでもここが自分の生きる場所だと生きてきたフウの前に、もう一人の少女が現れたのでした。
カザクラというその娘は、いつの間にかフウの生存圏の中に入り込みいつしか無くてはならない人生のパートナーとなっていきます。
どれほど賢くなろうとも、ただ自分のために生きる事は寂しいと感じるものでした。ラジオから送られる言葉によって日々賢くなっていく事は楽しみでありましたが、それでもその楽しさを共有する相手がいないことは孤独でした。
人は、誰かと共に有りたい。それもまた、人の可能性を広げるための原動力なのでしょう。
知恵と勇気と欲する心が合わされば、人は立ち止まり続けることは出来ません。チオウという街は、二人にとって真の意味で「生きる」には狭すぎる世界になっていきました。そして、チオウの側も自分たちの世界を逸脱する者の存在は、許容出来ない以上に絶対的に否定しなくてはいけない存在だったのです。
何より、カザクラには時間があまりありませんでした。今ある叡智では、彼女がこの先もフウと一緒にあり続けるためには足りなかったのです。
そこに留まっていては、可能性は途切れてしまう。あらゆる意味で、彼女たちは走り出さなければならなかったのです。
でも、果たしてこの閉ざされた世界から飛び出して、その先に望むべき世界はあるのか。喪われた過去から送り込まれてくる叡智は、既に喪われたものである以上いつかはすべてを吐き出し尽くして途切れてしまうのでしょう。果たして、外に飛び出しても可能性は続いているのか。
「人類の叡智」は終末のその先にもまた、羽ばたいていけるのか。

フウたちを全否定して追いかけてくるチオウの社会を維持するための部隊に追われ、カザクラ自身の時間も限界に近づき、絶望がひたひたと迫る中、それでも足掻き外の世界が存在する証拠を見つけ、外に飛び出すための資金を稼ぐために大企業との大勝負のプレゼンテーションに打って出るなかでさりげなくチオウの中にも発展の芽を植えながら、フウがある可能性に気づいた時。
そして、その可能性に希望を込めて、相棒の一人ならぬ一羽であるオオブンチョウのアサに託したものが、「あそこ」に届いたあのシーンは、もう言葉にならない湧き上がる感情に胸が一杯になっていました。
映画のクライマックスシーンのように、生き残るために必死に逃げながら戦うフウたちの姿を背景に、遠い遠いかの場所から、ラジオの中からフウたちに送り届けられるいくつもの声。希望の声援。閉塞を打破した先にある可能性の証明。そんな言葉を、声を背に、本当の今を生きるための疾走をするフウたち。

そしてたどり着くゴールと、そこを終点とするつもりなんて毛頭ないフウたちの輝く笑顔が胸に焼き付く。何も知らず孤独に死ぬはずだった少女が、智慧を得て知識を得て家族を得て友を得て、まだ見ぬ果てを自ら望んで歩いていく。
ここから先が、「壊れた世界の、向こう側」だ。

胸躍る、心をガンガン弾ませてくれる、凄い作品でした。とんでもねーとびっきりの物語でした。
やー、もう良かったよー!!