【Babel III 鳥籠より出ずる妖姫】  古宮 九時/ 森沢 晴行 電撃の新文芸

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大国キスクを訪れた雫。妖姫と謳われる王妹オルティアとの対決へ。

この大陸の在り方にまつわる秘匿された真実を、ファルサス王から知らされた雫とエリク。その情報の中から日本帰還への糸口を見いだした二人は、再び旅に出ようとしていた。
だがその時、突如現れた使者に雫は選択を突きつけられる。招かれた先はかねてよりきな臭い噂が絶えなかった大国キスク。彼女に求められた役割は、残忍で知られる王妹オルティアの遊び相手だという。

「それで? お前は何ができる? 自らの口で述べてみよ」

成り行きから雫は、流行り病とされる言語障害の対処法を確立するという大役を負うことに。失敗すれば待つのは無残なる死。旅の庇護者であったエリクのいない中、雫は一人手探りで解決策を探す。
そして孤独の姫オルティアとの対峙を重ねるうちに彼女の心根を知り、二人の間柄にも変化が生まれていくのだが……。
ああ、凄い一冊だった。
この一冊のなかで、幾人の運命が変わってしまったか。そして、雫とオルティア。二人の女性の人生の歩みは根底から変わってしまった。果たして、この巻がはじまった時の雫とオルティアと、キスクでの物語がひとまずの終わりを迎えた時の二人とでは、紛れもなく同一人物にも関わらず同じ彼女たちには見えない。別人のように、とは言うまい。彼女らの芯の部分は最初から最後まで何一つ変わっていない、それでもこれだけ変わって見えるのはそれだけ彼女らが成長した、という事なのだろう。
いや、成長というのもそぐわない。背が伸びるような、体が大きくなるような、そんな成長とはわけが違う。
これは羽化だ、
同じ存在でありながら、まったく別の存在に進化する。それは、羽化と呼ぶに相応しい。
幼さを脱ぎ捨てて、彼女たちは大人になったのだ。

ウェブ版でも、このキスク編は一番好きなお話でありました。雫を主人公とするこのシリーズにおいて、紛れもなくメインヒロインはこの妖姫オルティアだと、読んだ当時は強く思ったものですけれど、改めて一冊の本として彼女たちの物語を見た時、その思いは一層強固になったのでした。
彼女たちの関係の変化は一冊という枠組みに収められたが故により鮮やかに浮き彫りになったように見えます。初めてまみえた時の、あの暴君と玩ばれる哀れな生贄に過ぎなかった二人が、その別れの際には……あの挿絵には感極まってしまいました。尊い、尊い! 
ある時を境にして、雫もオルティアもお互いへの想いが器を越えて溢れるほどになっていて、一瞬も気を抜けない中で二人とも全力疾走していたから、読んでいるこっちも夢中になっていたのですけれど、すべてが終わってふっと落ち着いた時に、そしていつの間にか同じ道を手を握り合って進んでいた、もうこれからいつまでもずっと続くように感じられていた道が、それぞれ自分の道を歩くために別れていくのを目の当たりにした時。それを、二人が穏やかに受け入れた時。
見つめ合う二人の姿に。そっと抱き合う二人の姿に。はじまった時のあの残忍な妖姫と決然と睨み合う雫の姿が思い浮かび、この数ヶ月のあまりに濃い時間の中で無関心と敵意がこんなにもお互いを大切に、掛け替えのなく想い合えるようになっていく変遷が過ぎっていき、その果てにこの光景に辿り着いたことに。あの二人が、貴女と出会えて良かった、と心の底から思い別れを惜しむことが出来たことに、なんかもう感極まっちゃったんですよね。
泣いた。
……と、感じ入ってたのにラルスが後ろでワケワカランことしてやがるから、余韻が台無しだったけどな! このファルサス王、いくらなんでも酷すぎるw 相対的にオスカーが超真面目に思えてしまうじゃないですか!
ぴょんぴょん跳ねるオルティアがやたら可愛くもあったのですが。ラルス相手だと、オルティアも形無しだ。

しかし本当にこの巻における雫は別格でした。最初にオルティア相手に堂々と自分の使いみちを主張するくそ度胸! くそ度胸!!
そして殺されるかもしれないという状況にも関わらず、オルティア相手に一歩も引かず、不退転の覚悟で詰め寄った姿。自分の無実を証明するためにファルサスで塔から飛び降りた時もまー、むちゃくちゃでしたけれど、今度のそれはあの時を上回るある意味イッちゃってる様子で怖いくらいの迫力だったんですよね。激高しながら頭の芯が完全に冷めきってるような、勢いに任せているようで思考の方はフル回転しているような。目が据わっていて、あれはヤバかった。
このときのオルティアは、まだ暴君そのものだった時でしたし触れれば切れる剥き出しの刃のような状態と言っても良かったのに、まったく気にせずに掴みかかったようなもので。
命知らず、と言われても仕方ないですよね。でも、こういう時の雫って別に自分の命を捨ててでも、というふうには考えているわけではないように見える。そもそも、そういうの頭からすっ飛んでいて、兎に角退かない譲らないという所に自分の全リソースを注ぎ込んじゃっているように見える。だからこそ、あんまり危機意識を持ち得ないし、あとで後悔してるようにも見えない。
でも、ここらへんまでは以前までの雫でも見られた部分だと思うのだけれど、言語習得実験が終わってオルティアの元で働くようになって以降から徐々に変わってくるんですよね。
自分が容易に殺されない立場にある、という事情を利用して、オルティアに言いたいこと言うべきことを率直に諫言するようになってから、雫は暴君オルティアの内側にある歪みに、孤独に気づき、また側近のファニートやニケを通じてどうして彼女が今のようになったのか、その過去の一旦を知ることになります。
オルティアの心に近づき始めたときから、そしてオルティアが徐々に心を許してその内側を見せてくれるようになった時から、雫の在り方が劇的に変わっていくのである。
端的に言うと、オルティアにめちゃくちゃ入れ込んでいくんですよね。いつしか、オルティアのために全身全霊を注いで彼女の未来を切り開こうとしはじめるのである。
エリクがピンチに陥った時など、雫のバイタリティはほんと凄まじい勢いでアップしてもう尋常でない働きを見せたりしましたけれど、あれって実は瞬間的な強化加速ではなかったという事なんでしょうね。
いざ、オルティアのためにやったるぞー、となって以降の雫のあのポテンシャルの爆発的な増大は、上がりに上がり切ったところから一切落ちることなく、いつの間にかオルティアの側近中の側近として、腹心として、股肱の臣として、十年来ずっと使えてきた重臣としてオルティアを支え、ついには現王を追い落としてオルティアを女王として即位させるクーデターの牽引役として主君を叱咤激励し、支持を取り付けるために貴族たちを口説き落とす切り込み役となり、ひいては戦場に立つオルティアに全権を預けられその命運を託される代理人にまでなりおおせるのである。
その堂々としたオルティアの片腕としての姿には、貫禄すら伺えて……暴君だった姫を多くの貴族が国を託すだけの忠誠を捧げ、軍の将兵が喝采をあげて支持する偉大なる名君へと変えた名臣以外の何者でもありませんでした。
もうどこにも普通の目立たない女子大生の皮なんて残ってないですよ。
あと、普通の女子大生はスライディング土下座とかしませんから!
折角の感動の再会シーンにも関わらず、この娘さんときたらなんでこうドラマティックに出来ないんだ!? ほんと、そういうとこだよ!?
あのどうしようもない絵面から、わりとじんわりと染み入る再会シーンまで持ち直させるエリクさん、マジ尊敬します。この人、色んな意味で顔に出さなさすぎますよ。彼が雫のためにどれだけの事をしてきたか。雫さん、キュンとしましたか? しましたよね?
ある意味、ニケの奇襲は一番効果的なタイミングだったのかもしれませんね。彼にとっての失恋は、でも最後に一矢報いた、というべきなのでしょう。エリクじゃなくて、雫の方に全ダメージが入ってしまったようですがw

生得言語の問題については、子供の失語症の回復実験がなんとか成功を収めたあと、雫とオルティアの二人の物語、キスクの国内問題とファルサスとの紛争へと深く進行してしまったために、一旦脇に置かれる形になりましたけど、さらっと一文、重要な伏線が敷かれてたんですよね。
雫が一から言葉を教えた幼子リオ。この子の雫の呼び方を、なぜかニケはちょっとおかしな認識の仕方をしているのである。この違和が大事になってくる。それに、なぜか本来雫が知らないはずの、喪われた記録や情報がまるで最初から備わっていたように雫の知識、記憶の中に存在していた不可解さ。
【Babel】の本当の意味が問われる最終巻、今からすごく楽しみです。
でも今は、蛹から蝶になるように羽化した雫とオルティアの間で育まれた友情の尊さを、しばし噛み締めて反芻していたいと思います。