【Unnamed Memory VI 名も無き物語に終焉を】  古宮 九時/chibi 電撃の新文芸

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これは王と魔女の、終わりであり始まりの物語。

「私、貴方のところに辿り着けて幸せです」
ティナーシャの退位と結婚の日が迫るなか、周囲で怪しげな事件が頻発し始める。歴史を改竄する呪具エルテリアを奪取するため、ヴァルトにより巧妙に仕掛けられる罠。無数の歴史の記憶を持つ彼は、ついに自分と世界にまつわる真実を語り出す。
消えては再構築される時間の果てに、オスカーが下す決断とは――。王と魔女の物語の終わりであり始まり。人の尊厳をかけた選択に向き合う完結巻!

ずっとモヤッとしていたものがあったんですよね、この世界のオスカーには。それをヴァルトがズバッと指摘してくれて、ああそうだったのか、と深く深く首肯したのでした。
そうなんですよ、この世界のオスカーはティナーシャと結婚するのにさほどの苦労していないんですよ。なにしろ、むしろティナーシャの方からアプローチ掛けてきたくらいで、グイグイ来られて困惑しながらも彼女の不思議な人となりに惹かれていって、立場の柵がなくなった所でようやく求婚して、それも大した問題なくスッと受け入れられて。
そう、すんなり……本当にすんなり収まる所に収まってしまった。
前のオスカーは、そりゃもう毎日のように口説いてプロポーズして塔まで会いに行って、と大変な情熱を傾け続けたにも関わらず、徹底して拒絶され断られ逃げ回られ、それでも段々と触らせてくれるようになって口では断られながらも距離感をグイグイと潰していって、ついには彼女の生きる意味の消失を全霊をかけて埋めることでようやく一年掛けてティナーシャを口説き落としたわけです。
相手は数百年を生きる最強の魔女。経験も知識も力も違う相手でした、何をしでかすか分からないびっくり箱でした。それでも構わず、相手の巨大な存在感も恐れることなく、情熱をもって一人の女としてティナーシャを口説き落としたわけです。
そして、国を、世界を、自分自身をも失う選択を前にしても、迷わず彼女を救う道を選んでしまうほどに、ティナーシャを愛した。それが、前の世界のオスカーでした。
この世界のオスカーに愛が足りない、とは言いませんよ。でも、暗黒時代の女王の様相に戻ってしまったティナーシャを前に、不安をいだいてしまうオスカーというのはどうにも「シャキッとせいや!」という感想を否めなかったわけです。だってオスカーが不安って、違うだろう、そうじゃないだろう、と思いませんか? ティナーシャとの未来に影を感じてしまうって、そういう所に引っかかってるのはオスカーらしくない、と思いませんか。
そうかー、追っかけが足りなかったのかー。ティナーシャの何もかもを覚悟して受け入れていた前のオスカーと違って、強く求める前に得られてしまったこのオスカーは、愛する人を求める希求心が足りなかったのか。飢餓感が足りなかったのか。ふとした瞬間に彼女が消えてしまうのではないかという危機感が足りなかったのか。ティナーシャという異質を掴み取る覚悟が足りなかったのか。
だからこそ、すべての歴史を見てきたヴァルトが前までの世界のオスカーと比較して、彼を叱咤してケツ叩いてくれた時には、よくぞ言ってくれた! という感覚だったのです。
敵対しているはずなのに、ヴァルトは。
相容れない関係になってしまったはずなのに、言わずには居られなかったんだろうなあ。オスカーとティナーシャのあの尊いまでの関係を覚えていたら、どうしようもなく言わずには居れなかったんだろうなあ。
ティナーシャとオスカーの臣下だった事もある、と数ある歴史の中の一幕のように語っていたヴァルトだけれど、彼にとって彼らの臣下だった時間は実はこの上なく特別な時間だったんじゃないか、と思うんですよね。
あとで、彼らの臣下だった頃の話が挟まれるのだけど、ラザルやアルス、シルヴィアやドアンといった股肱の腹心たちと全く違和感なくメンバーの中に混ざってたんですよね。
そうやって二人のもとで働く時間は、本来の目的を忘れないまでも充実していて、ミラリスと過ごす日々も発見と幸せに満ちていて、ヴァルトにとってこの時間軸がどういうものだったのかが伝わってくるようでした。
道は分たれた。ヴァルトは一切を振り切って愛する人のために成さねばならないことがある。そのためには、ティナーシャとオスカーは敵として相対さねばならない。
それでも、敵対しながらもヴァルトにとって過去形じゃなく二人の臣下であり続けていた。それが、あのオスカーへの叱咤に垣間見えた気がしたんですよね。

そうして、泡沫のようにすべては消えていく。
ヴァルトが改めて「エルテリア」の効果について説明してくれましたけれど、これは本当にえげつない。何がえげつないって使用者当人には記憶残らず、時読の当主に選ばれた人間にだけ記憶が残ってしまうというところか。自分で使うならまだしも、誰かがどこかでエルテリアを使った途端にいきなり世界が巻き戻りって改変点まで戻されちゃうんですからね、記憶が残ったまま。最悪の巻き込まれじゃないですか。
それでも、自分だけの事ならずっといつか改変が通り過ぎていくのを耐え続ければよかったのかもしれない。でも、それが愛する人に引き継がれてしまったとしたら。
本来、ヴァルトは裏で暗躍して世界を動かす、なんてタイプの人間ではないのでしょう。誠実に、当たり前に、表の世界で当たり前のように穏やかに生きていく人間だったのでしょう。そんな彼が人として壊れもせずにやり遂げようとした事は、愛する人を救うためにそれ以外のすべてを裏切ること。
それもまた、名前の残らない記憶であり物語だったのでしょう。
でも、その名無しの記憶は紆余曲折を経て、彼らに引き継がれてしまった。

そこにあった世界が、消えてしまう哀しみを、喪失の痛みを、引き継いでしまった。
歴史が一つまっさらに消えてしまう瞬間は、劇的でもなく本当にただ泡が消えるように唐突に何もかもなくなってしまった。
あそこに生きていた人たちは、長き歴史を紡いでそこに在ったものたちは、全部綺麗サッパリ消えてしまった。ただ、巻き戻しを認識する人の記憶にだけ残って。
レジスとティナーシャが二人でトゥルダールのためにやっていたこと、やろうとしてきたこと。描いてきた未来図が、全部泡のように消えてしまった。想いも、情熱も、親愛も、感傷も、何もかもが記憶の中にしか残っていない。

そして、オスカーが選んだ選択は。ティナーシャが受け入れた決断は、そんな記憶にしか残らない思いすらも消し去るものだったのか。
すべての改竄を初期化して、最初からやり直す。きっと、改竄を経なければ生まれなかった生命もあるだろう、助からずに歴史の闇に埋もれてしまった者もいただろう。オスカーですら、そもそも生きて成人しなかったかもしれない。ティナーシャは魔女にならず、数百年の時を経てオスカーに会う事はなかったかもしれない。
それでも、彼らは行き詰まりつつあった世界をまっさらにやり直すことを選んだ。外部からの干渉を排し、ティナーシャ一人が背負うことになる消えゆく歴史と時間の重さを取り払うために。
運命を信じて。もう一度会えると信じて。そのとき、恋に落ちるのは確定済みだ。それだけは、疑う余地はない。
「歴史が変わっても、全てが元に戻っても。どこにも誰にも記憶が残らず、たとえ私が生まれなくても……愛しています。貴方が私の、最初で最後のただ一人です」


きっとこの瞬間に、数百年を生きた魔女と一人の王様の恋物語は、ただ幸せになって結末を迎えるお伽噺の枠を逸脱してしまったのだ。悠久の時の流れに、二人は溶け落ちていく。
きっと二人はそれでも幸せなのだろう。ただ少しだけ、置き去りにされていく人たちの想いを想像すると胸の奥に寂寞とした風が吹く。
最初にこの作品をウェブ上で読み耽って以来、ずっと忘れられない、心のなかで吹き続ける風だ。
その寂しさを、もう一度じわりと噛みしめる。
これが【Unnamed Memory】が迎える終幕の実感なのだと、思い出しながら。

続編もやるんですよねえ。やるのかー。それならそれで、こっちも覚悟が必要だなあ。