【腹ペコ聖女とまんぷく魔女の異世界スローライフ!】  蛙田アメコ/KeG ドラゴンノベルス

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ごはんを食べたら聖女パワー全開! 聖女と魔女の異世界ほっこりライフ!

常に腹ペコの聖女見習い・エミリアは修道院を追放されてしまう。
彼女を救ったのは魔女のアビゲイル。
実はエミリアの空腹は膨大な魔力が原因で、さらに女神の生まれ変わりだった!?
アビゲイルの手料理で心もお腹もぽかぽか。
ごはんで得た聖女の力でケガを癒やしたり、伝説のフェンリルを従えたりと大活躍!
聖女と魔女コンビのほっこり生活、開始!
美味しいご飯をお腹いっぱい食べる、というのは一番根本的な幸せだと思うし、お腹をすかせている子供にお腹いっぱいに食べさせてあげる、というのは最も素朴で尊い善行の一つなんじゃないだろうか。
なんなら、そのお腹空かせている子供が本当に美味しそうにご飯食べてくれるのを見るのは、食べさせてあげるのは最高の幸せの一つなんじゃあないだろうか。
相手が子供に限らず、ペットとか動物なんかでもついつい際限なく、パクパク食べてるところに次もこれも、と食べ物を与えてしまうのは、こういう麻薬的な幸福感によるものなんじゃないだろうか。あと、単純に楽しい!
世の中のお祖父ちゃんお婆ちゃんが、孫とかにあれもこれもと食べてせてしまうのは、こういう心理もあるんだろうなあ。
と、思わず食べさせ語りをしてしまいましたが、このエミリアもまた本当に美味しそうに食べる子なので、アビゲイルとしても食べさせ甲斐があるんですなあ。エミリアの聖女としての力だなんだ、というのは、口実以外のなにものでもないのでしょう。ただただ、彼女が食べてくれるのを見るのが楽しいのだ。ご飯与えて美味しいっと笑顔になるのが嬉しいのだ。
まあ、エミリアのことを幼女と思っていたら、まさかの一歳違いの同年代だったというのが発覚してしまったのですが。
いくらなんでも発育不良すぎるだろう。修道院での過酷な毎日は眉をひそめざるを得ないものでしたけれど、いったいどれだけの虐待だったんだろう。これだけ食べることを好きな子が、まともにご飯食べることが出来なかった。お菓子どころか甘いものも口にしたことがなかった、とか可哀想すぎるじゃないですか。
どう見ても修道院、聖職者を育成するための場所じゃなくて、負の感情を育てるための場所になっているんですよね。本来そこまで性質が邪じゃない人も、ここで暮らしていたら歪んでしまうんじゃないだろうか。衣食足りて礼節を知る、とイイますけれど、エミリアへの仕打ちは特に酷いものの全体的にも食事に関しては極めて制限かけてるみたいでしたし、空腹は精神をヤスリにかけますからなあ。イライラやギスギスが常態的になっていてもおかしくない環境でしょう、これ。
こんな中で性格が一切歪まずに純真無垢な善人として育ったエミリアは……ある意味これも歪んだ結果なのかもしれません。むしろ研ぎ澄まされた純粋無垢、穢れのなさすぎる善へと濾過されてしまったんじゃないでしょうか。
己が飢え死にしそうな状態で、持ち合わせのなけなしの食べ物をお腹をすかせた子供に与えてしまったり、途方も無い借金を抱えた人の肩代わりをしてしまったり。困っている人を助けたい、というエミリアの想いは、これ半分狂気の領域に足を踏み入れたかのような善の衝動へと駆られているんですよね。自分を一切顧みない救済。
でもその救済は、与えられた食べ物を食べてしまえば、またすぐお腹をすかせてしまうだろう姉弟を果たして救えたのでしょうか。借金を肩代わりしてもらった娘ですが、でも無計画に借金を雪だるま式に増やした挙げ句に彼女を借金のかたにした父親は何の反省もペナルティーもなく借金がチャラになったわけですから、さて娘の運命やいかに、てなもので実際は何も解決していない。
エミリアの底なしの優しさに意味はないことはないでしょう。目の前で困っている人が助けられたのは確かで、でも目の前の出来事しか救えておらず、そしてそのために負った困難や負債を彼女は自力で解決できず、今度は周りの人の助けの手を必要としてしまっている。
それは果たして、手放しで褒められるべき善行なのか。
エミリアが確実に行えた救済は、ある意味アビゲイルの孤独と傷心をそばに寄り添うことで癒やした、その一点だけじゃないんだろうか。その一点で十分とも思えるのだけれど、それは彼女の困っている人を助けなければ、という一方的なそれによるものではなく、アビゲイルとお互いにお互いの温もりを必要とした、その結果なんじゃないだろうか。
最後の、自分を追いかけてきたココナたちに、お腹がすいたから一緒にごはんをたべよう、と誘って結果としてココナの心を縛り付けていた戒めを解き放ったのは、エミリアなりの成長と思いたい。
一方的な救済を押し付けるのではなく、自分が幸せに感じたことを共有することで幸せを分け与えること。自分が我慢して相手にだけ救いを与えるんじゃなくて、「私、とてもお腹が減ったので!」と自分の欲求を正直に告げて、一緒に幸福感を享受しようというその姿勢は。
最初のどこか破滅的ですらあったエミリアの聖女としての姿よりも、どこか人としてのぬくもりのある優しさが垣間見えた気がしました。
そう考えると、アビゲイルと出会ったことはエミリアにとって、救いである以上に大切なことだったのかもしれませんね。
まあでも、難しいことを考えなくても、人はお腹いっぱいになることで幸せになれる、という単純な真理こそが大切、ということで。