【純白令嬢の諜報員 改編 1.侯爵家変革期】  桜生 懐/ファルまろ 富士見ファンタジア文庫

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「こんな結末、馬鹿げている」愛読書の最終巻に憤激したまま、世界最高の諜報員・ラプターは散った。だが彼が転生したのは、まさにその小説内の世界。最愛の令嬢を救うため"最強の読者"は謀略を開始する!


シャーロック・ホームズが死んだときも、こんな風に悲憤にかられた人が続出したんだろうか。
ラプターが人生で初めて感情移入し没頭した小説のラストは、ヒロインの非業の死によって完結する。いや、なかなかこういう終わり方する作品はないんじゃないだろうか。ラプター視点で、実際にその小説を読んだわけじゃないので、ラプターの主観によるのだけれど何の救いもない悲劇なんですよね。
これ、ロザリンドだけじゃなくて残された人たちもロザリンドにあんな死に方されたんじゃあ、幸せになれないんじゃないだろうか。ってか、ラプターに礼賛される人物であるロザリンドのキャラクターって、あんな結末を選ぶキャラクターなんだろうか。ラプターの語る人物像からするとそぐわない行動にも見えるんですよね。
最終巻が出るまでかなり間が空いたらしいので、作者がしっくり来るラストが思いつかずに強引に畳んでしまったのか、それとも実は死んでいませんでした、続編決定! みたいな展開があったのかもしれない。それだとラプターが死に損なので、ちとかわいそうすぎるか。
いずれにしても、ラプターの主観がよほど歪んでいない限りはこれ、ファンから非難轟々なラストだったんじゃなかろうか。
絶望のあまり自爆しちゃった人もいるんですよ!?

さて、愛読書の中の世界に転生したラプターは、そこが時系列的に作中でもかなり序盤の時期だと把握し、嬉々として推しキャラであるロザリンドともうひとりのヒロインであるニシャの救済に動くことになる。
原作介入展開には幾つかパターンあるのだけれど、自分が原作キャラに転生していない場合は慎重を期してなるべく原作キャラには直接関わることを避けようとしながら、遠回しに支援したり悲劇を回避できる環境を外部から整えていく、という方法を取るケースが散見されるのだけれど、このラプターさん一瞬も迷いもせず自分で突っ込んでいったぞw
まあラプターさん、ラストのあまりの展開に物語そのものへの失望感が大きかったろうから、物語を改変する事に関しては全く頓着はしてないんですよね。あくまでロザリンドとニシャという二人の少女を救済するという事以外は眼中にない。それを最も効率的に効果的に達成するためには自分が直接介入することが一番、という判断があったのでしょう。
かと言って、何の説明もなく自分の正体も何も語らず、君を助けに来た! と、いきなり迫ってこられたら、普通怖いですよ? 普通じゃなくても怖いですよ? 
特にニシャを前にした時のラプターは、推しを目の前にして完全に頭茹だって早口でまくし立ててるヤバい兄ちゃんで、自分で何喋ってるか全然コントロール出来てなかったですよね。熟練工作員としてのコミュニケーションスキルが完全に吹き飛んでましたし。
実際、ニシャはこいつやべえ、とかなりドン引きしてましたし。
実際、ガチ目に気持ち悪かったです、ラプターさん。いや、このときだけの瞬間最大風速じゃなくておおむねガチ目に気持ち悪い人だったのですが。
普通なら、こんな感じで迫られたら小さい女の子ならギャン泣きですよ。泣くことすら出来ずに逃げ出すかもしれません。イケメンなら許される、にも限度がありますから普通に通報案件でしたね。
ただ、現実問題としてスラムを這いずって生きていたニシャにしても、屋敷の地下で監禁され虐待され続けていたロザリンドにしても、彼女たちに必要だったのは絶対的な肯定であり、生きるための希望だったのでした。彼女たちは人格を否定され、尊厳を踏みにじられ、人間としての誇りを嘲笑われ、僅かな愛情すらも奪われて、人の悪意に塗れて虐げられてきた子たちでした。
彼女らは愛に餓え、しかし愛を信じられなくなり、人を信じられなくなり、未来を信じられなくなり、自分自身をも価値を感じられなくなるほどに、すべてを失った子たちでした。
だからこそ、必要だったのでしょう。生まれてきてありがとう、という生きていることそのものを祝福してくれる言葉と想いが。
ラプターのそれは、狂信的な推しへの愛であり、全肯定であり、盲目的とすら言える献身でした。でも、それだけの深い常人には耐えられないほどの偏愛こそが、愛情を欠乏しすぎて心ごと枯死しかけていた二人の少女にとっては、生命の雫に等しいものだったのでしょう。彼女たちの魂の死を救うには、それほどの盲愛こそが必要だった、と考えるのならラプターのそれもまた理解は出来ないけれど納得はできるのです。
それに、彼は確かに狂信者であり、ラプターとニシャの二人以外には何の価値も見いださず、何の感情も抱けない壊れた人間でありますけど、彼の盲目的な愛情はでも一方的なものではなかったんですよね。
狂信者や盲愛の人は、自分の価値観、自分の愛情を押し付けるばかりで相手を理解しようとしない傾向があります。ラプターは、ニシャやロザリンドの事を小説を通じてその人となりや考え方まで理解し尽くしている、と思っているのでしょうけれど、その小説の人物像という枠に嵌めて彼女らのあり方を固定しようとはしませんでした。彼女らはこういうキャラだ、という決めつけをしなかったんですよね。いや、信じて疑わないという時点で決めつけていたかもしれませんけれど……。
でも、彼は常に彼女たちの意思を尊重しようとしていましたし、常に彼女たちに選択肢を提示し続けていました。たとえ、その選択が彼女たちを苦しめることになっても、彼女たちがそれを選ぶのならラプターは結末を勝手に押し付けずに彼女らの願う通りに支え続けたんですね。彼は、決してロザリンドたちを人形扱いしなかった。推しのキャラとして自分の理想を押し付けなかった。まあ思いっきり思考の誘導とか誘引とか、していたような気もしますけれど。ただ従順ではなかったんですよね。救済の押し売りしている時点で、従順どころじゃなかったのかもしれませんが。ラプターにとって、ロザリンドに仕える事が目的じゃなくて、ロザリンドとニシャを幸せにすることこそが目的であり、それ以外は全部余分、という扱いでしたからね。
ある意味似た者同士だった、同じ盲目の狂信者であるルイスと道が別れたのは、そのあたりなのかもしれません。ルイスは、主に対して従順でありすぎたのでしょうね。忠臣であろうとしすぎて、間違った道へとひた走る主人に讒言することも掣肘することもしなかった。
人間性で言うならば、むしろルイスの方がラプターよりも余程マトモだったかもしれないのに、こうして結末に差が出たのは皮肉めいているような気がします。尤も、幸福感に満たされたという観点ではさほどルイスもラプターも変わりはなかったかもしれませんが。そしてまあ二人共頭のおかしい狂信者であることには代わりはないのですが。
最期にルイスにワイアットがかけた言葉は、ちょっとサービスしすぎだと、個人的には思いますけどね。ルイスに報われてほしかったのかもしれないですけれど、ワイアットがああいう台詞を言う下地がまったくなかったもんなあ。

現実で生きている時、その諜報員は何一つ生の実感を得たことがなかった。それが、一つの小説作品と出会うことで初めて、人らしい感情を抱くことが出来て、彼は自分が人間であることが、生きていることが実感できた。
そして生まれ変わり、物語の中で苦しみのたうち回り結局幸せになることが出来なかった少女たちを救いたい、幸せにしたい、という任務ではない初めて抱いた自分の根源から欲求に従い、彼は望むがまま思うがままに行動した。
そうして、二人の少女が救われて、幸せそうに自分に向かって笑いかけてくれた時に……。
彼はようやく、幸福というものを知るのである。生きていることそのものを、祝福されたのでした。
人が心から幸せを感じる瞬間の温かさを、じんわりと噛みしめることの出来る良いラストシーンでありました。