【鉄血の海兵令嬢】  草薙 刃/ヲさかな 電撃の新文芸

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――異世界よ、これが合衆国海兵隊だ。

「お嬢様! たった今この時より、貴様はこの地上で最下等の生物に格下げとなる!」
ヴィクラント王国第二王子ウィリアムから婚約破棄された公爵家令嬢アリシアに、罵声が浴びせられる。その声の主は従者アベル、正確には彼と同化したアメリカ海兵隊カイル・デヴィッドソン少佐のものだった!
婚約破棄に絶望したアリシアが破滅を迎える前に、“クソッタレの殺戮兵器”へと仕立てるため新兵訓練を施す。並み居る政敵どもをなぎ倒し、国家に平和と秩序をもたらすために!!




これが合衆国海兵隊だ! って、勝手に異世界相手にそんなんしていいんですか!? 合衆国誤解されますよ!? 鎌倉武士団とかじゃないんですから。わりと同じジャンル扱いじゃないですかね、合衆国海兵隊。
ついにマリンコになる令嬢まで出てきた悪役令嬢業界。まあこの業界なんでもありですけどさ、海兵隊はまさかまさかである。いったいなんだと思われてるんだろう、海兵隊。
面白いのは、海兵隊の隊員が直接悪役令嬢として転生するわけじゃないんですよね。悪役令嬢としての役割を振られている公爵令嬢のアリシアはあくまで現地の人。生まれながらの貴族令嬢であり、王子に婚約を破棄されるこの瞬間まで、武術を習うどころか身体もろくに鍛えたこそのない、純粋培養のお嬢様だったんですよね。
そんな子になにすんねん、という話である。
いやしかし、海兵隊と言えばハートランド軍曹、というイメージが根付いちゃっているくらい、海兵隊=新兵訓練(ブートキャンプ)というのが定番になっているわけで。
そうだよなあ、そりゃそうですよねえ。悪役令嬢当人が元海兵だったら、婚約破棄されて絶望する暇もなく、王子の首根っこ掴んで引きずり回して罵声を浴びせまくり、お前みたいな腐った根性の若造は自分が鍛え直してやるわーーっ! と、王子に海兵魂を刻み込む展開になってしまっていたでしょう。
あれ? それはそれで面白いんじゃね?
とはいえ、これは麗しの貴族令嬢に血と汗と涙の海兵魂を刻みつける物語である。匙より重たいものを持ったことが無いような少女を、クソッタレの殺戮兵器へと変貌させる愛と勇気の物語なのである。
なんかこう、人間辞めるみたいな印象ですな、これ。

ちなみに、表紙絵では見事な縦ロールを巻いたまま硝煙にまみれているアリシア嬢ですが、本編ではわりとサクッと髪落として短くしちゃってるんですよね。ブートキャンプをなめたらあかん。
ダイエットのためのブートキャンプではなく、ガチのアレなので、汚い顔でギャン泣きしながら泥まみれになり、吐いて這いずり回って泥に塗れながらマトモな人間が口にしないようなものでも、食べないと生きていけないサバイバルをくぐり抜けるはめになる、アリシア嬢。
人間性を作り変えるって、やばいですよね? やばいですよね?
ただそれくらい、人格ごと矯正しないといけないくらい、彼女が受けた絶望が深かったということなのでしょう。絶望の淵に沈んでしまった彼女の心を救うためには、無理やり鍛え上げてその弱った心を強靭に仕立て直すのが一番の特効薬だ、とアベルは判断したからこその新兵訓練だったのです。
頭、脳筋なんじゃないのか、という発想である。元海兵と言っても少佐階級の佐官で士官教育受けているし、むしろインテリのはずなんだがw
でも、アリシアを海兵そのものに仕立て上げることで、彼女の絶望が負の感情、世界への憎悪へと変貌していくのを防ぐ、ある意味身体を動かし鍛えることで鬱憤を発散させる、という健全な対処法とも考えられなくはないかもしれない方法だったのですけれど、問題は合衆国が存在しないこの異世界において、海兵隊たるべしというのはどういう意味を持つのだろう、というところなんですよね。
結局の所、海兵隊というのはアメリカ合衆国の軍隊の一つであります。その行動原理は合衆国の国益にあり、そのためにいつでも実力を行使できるように力を蓄え、そしてその時が来たらアメリカのために戦う集団、それが海兵隊なわけですけれど。
合衆国が存在しない異世界においては、彼らの忠誠の向かう先もまた存在しないのである。ならば、海兵隊は異世界において何のために存在するのか。何のために戦うのか。彼らは正義の味方じゃありませんし、ヒーローでもない。騎士や侍のように、殉じるべき道があるのかというと、軍人というのは職業であって生き方ではないんですよね。
心身を鍛えられて、新米ながら海兵隊の一員として指導教官たるアベルから認められるようになったアリシアですけれど、彼女はそれ以前にノブリス・オブリージュに殉じる貴族であり、また淑女でもあるんですよね。その心身に刻まれた海兵魂の発露の方向性は、彼女自身が決めることになるのである。
わりと、あの定番であるブートキャンプが終わった後の、戦う力とそれを振るうに足る強い意思を手に入れたアリシアに対して、海兵隊という要素の存在意義は案外と定まっていないというか、ふわふわとして迷走していたような気もします。
アベルの海兵隊由来のものなら何でも召喚できる、ある意味アメリカ合衆国軍のチートだろそれ、という意味不明なレベルの兵站の豊潤さを再現したような能力も、便利な能力という点に終止していて、なんだろう海兵隊であるという意義みたいなものはしっかりと見いだせていなかったようにも思えるんですよね。純正海兵隊員である、少佐の部下たちも召喚された時点で軍人ではなくなってしまっていて、個別にそれぞれ少佐の招きに応じてアリシアを助けることを選んだわけで。その時点で合衆国海兵隊という看板には「元」がついてしまうんじゃないのかな、これ。
強さを示すための肩書、と言ってしまうのは言いすぎだろうか。
或いはアリシアを冠に、アベルを中核にしたチーム海兵隊、というグループの形成? 新兵訓練を受けて合格を貰ったことで、同じ集団の一員としての仲間、強固なファミリーとしての絆、同じ釜の飯を食った戦友、という帰属意識が植え付けられた、とも言うべきか。実際、本来のアリシアの側近にして護衛だったメイドの少女は、この訓練を受けることがなかったのでかなり疎外感を感じ続けることになりましたし。
いずれにしても、由来は合衆国海兵隊だったとしても、現状はアリシアの海兵隊、になるんだろうな、これ。いや、アリシア自身はプライベート……二等兵で海兵隊としては一番の下っ端なんだけど。うむ、最終的な意思決定はアリシアに求められるわけだから、アリシアってテッペンにして一番下っ端、というなかなかヤクザで錯綜したややこしい立場なんだよな、海兵隊としては。
そして勧善懲悪の正義の味方、みたいな行動をとりつつ、アルスメラルダ公爵家の特務部隊のような働きもしつつ、でも公爵閣下の命令は受けずに勝手に独断専行する、実態は公爵令嬢の私兵部隊(本人含む)みたいな? ガワは海兵隊なのかもしれないけれど、中身はなんなんでしょうね?

――異世界よ、これが合衆国海兵隊だ。

うん、つまるところどのへんが合衆国海兵隊なんだろうねw
謎グループ武装集団すぎるアリシア・マリンコでありました。