【火群大戦 01.復讐の少女と火の闘技場〈帳〉】  熊谷 茂太/転 富士見ファンタジア文庫

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復讐を誓う少女が辿り着いたのは、【火】で殺し合う戦場だった。

すべての人には加護がある。
しかしそのどれもが祝福されているわけではない。

「禍炎」と呼ばれ、忌み嫌われる【火】の精霊を宿す少女は、
自らの同胞を殺した仇を探していた。やがて彼女が辿り着いたのは、
共和国最大の祭典――通称<帳>。
少女と同じく【火】の精霊の加護を持つ人々を集め、殺し合いをさせ、
そして見世物にするという残酷極まりない狂宴だ。

同胞の亡骸のもとに、まるで招待状のように遺された<帳>への
参加票を手に、少女は激戦の舞台へと臨む。決勝トーナメント出場者、
全8名。暴き出せ。この中に、仇がいる……!?
第34回ファンタジア大賞《金賞》受賞作、開戦!!


火はすべてを燃やし尽くし消し去ってしまうが故に、どうしても暴力的なものとして捉えられやすい。慣用句などでも、火を用いた言葉は攻撃的なものとして用いられることが多いだろう。
この世界では、【火】の精霊の加護を持つものは忌み嫌われ、厄災をもたらすもの、暴力に魅入られ人を傷つけることを本性にしているような者たちだと、大昔から虐げられてきた。
それでも時代が進むにつれて、そうした偏見は薄れ解消されてきたものの、この物語の舞台となる国は他国との交流を最低限に閉ざし、古くからの因習に拘った社会を維持しているのだという。帳の中に閉じこもり、耳も目も塞いで過去から続く栄光の妄想にしがみつく。
そんな国家の象徴が、国中から【火】の精霊使いたちを集めて殺し合わせるこの祭典だ。国民たちは熱狂して、悪しき火の精霊使い達が殺し合うのを観戦し、楽しむのだ。
【火】の精霊使い達もまた、他の人間たちと変わらないただの人だというのに。
でも、それがこの国であり、この国に生きる人々にとって、それこそが自分たちの生きる世界なのである。火の精霊使い達は生まれながらに見下され虐げられ、悪の権化と見做されて、多くが諦めてしまっていた。
諦めないもの、諦められないものたちは、そのまま世界を破壊しようとするテロリストへと堕していく。
そうした、閉ざされた帳の中の世界に囚われた火の精霊使いたちの中に忽然と現れたのが、彼女だった。その国の中でも人里離れた山の奥に居を構える少数民族の生まれ。そこでも火の精霊使いへの偏見と虐待は存在し、彼女は一族の古老達から大人たちから虐げられて這いつくばるように生きてきた存在だった。名前すら与えられない、名無しの少女だった。
彼女と関わることになったものたちは、名無しの彼女をその戦闘スタイルから女徒手拳士(ゼロフィスカ)……フィスカと呼ぶようになる。
彼女フィスカは、他の祭典の参加者たちと違い(アホの娘ローズリッケちゃん除く)、世界には囚われていなかった。代わりに、彼女は一族の中で唯一自分を人間として扱い、兄妹として接し、同胞として愛してくれた者たちを鏖殺した犯人を探して、この地を訪れた復讐者だった。
彼女もまた、復讐という狂気に囚われている……と、思われたのは最初だけだった。
フィスカは怒りに身を焦がし、哀しみに心をやつし、身命を賭して仲間たちの敵を追っていたが、それでいて鬼には成りきれていなかった。復讐のためには他の何も顧みない、という狂気には心も魂も犯されていなかったのだ。
彼女は、復讐鬼にはなれていなかった。
そうなるには、フィスカはあまりにも善良でありすぎた。心壊れそうなほどに悲しみに暮れながら、しかし壊れない心の強さを持っていた。優しく人を思いやれる少女だった、こんな時ですら。
でも、そんな風に彼女を育てた者たちこそ、無残に遊びのように楽しんで弄ばれて殺された同胞たちだったんですよね。彼らがフィスカに際限なく注いだ愛情が、親愛が、彼女をあまりにも真っ当にそして心強く育てて今のフィスカのような人間にしてしまった。
同胞の復讐に何もかもを注ごうというのに、その同胞たちのお陰で彼女は心を喪えない。それは皮肉な話か? いや、違うだろう。同胞たちの、兄妹たちのお陰で、フィスカはこれほどの悲劇を経験しながらも悪鬼に堕せなかったのだ。それは、彼らが死してなおその存在がフィスカを守り救い続けた、という事なんじゃないだろうか。彼らが、フィスカを人間で在り続けさせた。
そんな清廉に真っ直ぐに、人で在り続けるフィスカの火は、暴力の火でも誰かを傷つける火でもないように見えた。火はときとして再生であり、浄化でもある。
フィスカのその慈愛を失わない不器用ながらも真っ直ぐな生き様が、余りにも人らしい姿が、火の人生を諦めていた、この祭典の参加者の幾人かに、正しく火を灯すのである。
他者を許容せず、ただ独りで生きて、戦い、死のうとしていたこの武闘会の参加者たち。その孤立していたものたちの間に連帯が生じ、紐帯が生まれ、利害関係の一致という要素があったとしても、一致団結して事に当たる展開になったのは、それまでの虚無感のような虚しさが物語の根底にこびりついていただけに、驚きであり痛快でもあったのです。
フィスカに触発されて、捨てきれなかった人としての情を、生きる気力を、男たちが胸の奥にひっそりと灯す姿は、何とも胸の熱くなるものでした。特にユルマンは、その滲み出る胡散臭さを脱ぎ捨てて、誠実な想いを、そして行動を見せてくれたのは良かったなあ、本気で胡散臭い男だっただけに、ちゃんと熱い魂持ってるじゃねえか。
同胞たちの生き様が、理不尽な死を前にしても屈しなかった気高さが、フィスカの戦いに通じたのなら。その結果、犯人の邪悪を世に知らしめ、悪意と偏見の醜さをさらけ出し、フィスカにただ犯人を殺すだけの仇討ちじゃない、本当の意味での仇を討たせ、フィスカだけじゃない火の精霊使いの行く末を救い、国そのものを変えようという動きへと繋がったのだとしたら、彼らは自分たちの死をただの悲劇で終わらせなかったのだろう。彼らは自ら、自分たちの死を無駄に終わらせなかったのだ。
そして彼らがもっとも愛した同胞であるフィスカを、救ったのだ。託した思いは、フィスカがちゃんと受け取った。
彼らは、勝ったのだと、そう思いたい。
荒いところも多かったけれど、ラストシーンを含め心に響くものがある作品でありました。