【わたし、二番目の彼女でいいから。3】 西 条陽/Re岳 電撃文庫

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桐島くんを二人で共有しよ? 加速する歪な三角関係が堕ちる先は……。

「ねえ、私たちで桐島くんを共有するの、ダメかな……?」

俺は今、橘さんと付き合いながら、早坂さんとも付き合っている。
共有のルール。それは互いに抜け駆けしないこと。「一番目」になれない方が傷つくなら、それは優しい関係とすら言えるだろう。
たとえそれが、歪で、甘美な延命措置に過ぎないとしても。

だけど……。

二番目でよかったはずなのに。
それでも一番目になりたくて。
互いにエスカレートする好意と行為。
その果てに、俺らの関係はやがて軋みを上げ始め……。
もがいて、すがりついて、大事だった何かを摩耗させながら。
どこまでも深みに堕ちていく。


全部受け入れ肯定する、ってのはうん、美徳なんでしょう。許容よりも強力な意思表示だと思う、肯定って。でも、何でも肯定してくれるって、見方を変えるとブレーキ一切踏まないって事でもあるんですよね。
後書きによると、主人公の司郎は非常に強い肯定力の持ち主なんだそうです。橘ひかりも早坂ちゃんも、どれほど自分が歪んでいても周囲から見た姿と本当の自分が違っていても、気持ちそのものが揺れていても、マトモじゃなくなって壊れてしまっても、大地を引き裂いてしまいそうな激烈な負の感情も張り裂けそうな好きという爆発する気持ちも、全部認めてくれて肯定してくれる、そんな彼に惹かれているのだそうです。

橘も早坂も、最初はもっと繕ってたんですよね。自分なりの周囲に見せるための仮面を被っていたし、司郎に対しても見栄をはったり体面を保とうとしたり可愛くみせようとしたり、嘘もついたし秘密も持っていた。気を持たせようともしたし違う自分になり切ってみようともした。
建前だとか言いわけだとか、理由付けしようとしたり、なんていうんだろう……お互いの関係をどうするべきか自分たちの感情面だけじゃなく、周囲との関係や身内との兼ね合い、事情や世間体なんかを色々鑑みて、悩んでたしどうするべきか熟慮していた。人並みに、辻褄を合わせてなんとかこう、落ち着く所に落ち着かせよう、着地させようという意識はあったはずなんですよね。

でも、司郎くんは何にしてもどんな醜態を晒しても、どんな剥き出しの感情を曝け出しても、受け入れてくれるどころじゃなく、肯定してくれる。徐々に、徐々に、歯止めがきかなくなってくる。
自分にブレーキをかける必要がなくなってくる。一番大事なのは司郎であって、それ以外はどうでもよくなってくるから、そのいちばん大事な司郎が全肯定してくれる以上、それ以外を気にかける労力に意味を見いだせなくなってくる。リソースを振り分けることが無意味になってくる。
醜かろうが無様だろうが関係ない、全部肯定してくれる彼に、全部をぶつける快感にハマっていく。そうして出来上がっていくのは、モンスターだ。
嘘を言わない、自分を偽らない、本心ばかりを曝け出し、本音ばかりを吐き出してしまう、剥き出しの自己をぶちまけたモンスターだ。

もうこの巻において、橘も早坂も自分を繕ったりしていない。全部全部が、本心だ。全部ダイレクトアタックだ。
だからといって、それが全部本能剥き出しの獣ではないのは、面白いところなんですよね。本能も欲望もさらけ出すけれど、それに身を任せてしまうだけじゃなく、自制してしまうところも、理性を働かせてしまうところも、そういうのもやっぱり本心なんですよ。本音であることは間違いないんですよ。
こうしてみると、理性ってのもまた人に備わった本能なのかと思えてくる。まあ、理性が働いたからと言っていわゆる「理性的」かどうかは実に怪しいところだけれど。
この関係が二人きりのものではなく、一人の男を巡る二人の女の戦いであり、駆け引きである以上、欲望だけでつき動いても決着はつかないんですよね。
本来なら判定する、判断する、決断する側である司郎は、全肯定するが故に決して選ばない。橘の求愛も、早坂の求愛も拒まない、拒めない。
これ、流されてるって風でもないのが異様であり凄いというべきなんでしょうか。肯定ってのは受容という受け身じゃなくて、どちらかというと能動なんですよね。意思をもって、彼は選択していないと言える。その先が詰みであり、行き止まりであるとわかっていても。
彼のその特質を女性二人もわかっているから、ここに至って司郎へのアピール合戦みたいな形にはなってないんですよね。究極、彼にアピールしても彼は判定してくれないから。無論、彼に喜んで欲しい欲望を抱いてほしい、と着飾ったりエロさをぶつけたりはしているけれど。自分を選べ、という意味合いでそういうアピールはしていないように見える。
もう、そういう段階を通り越しちゃってるんですね。なので、ルール付は司郎置き去りにして勝手に女性二人の間で執り行われている。決めた端から一切守るつもりない、というのが本当に凄いけれど。ルール通りにやる、なんて建前、もう意味なくなってる。ただただ本心ばかりだ。ルール決めたんだから守らなきゃ、という気持ちを持ちつつ、彼を独り占めしたい、エロいことしたい、愛し合いたい、という気持ちを偽らない、隠さない、抑え込まない。

ルール決めた上で無法地帯の乱打戦するの、さすがにどうかと思いますよ!? でも、それも肯定されるのである。

肯定する方だって疲れるだろうに、と思うんだけど、実際疲れ果ててましたね、司郎くん。そのうち精神的にすり潰されて死にそうになってました。でも、曲げない。曲げ方を知らないのか、出来ないのか。
現状の無茶苦茶さを遠慮なく切れ味たっぷりにツッコんでくれる後輩浜波ちゃんは、司郎にとっても癒やしだったのでしょう。もう、癒やしどころか生命維持装置みたいな扱いで頼りまくってたようにも見えましたが。完全に拠り所にしてますよ、浜波ちゃんのこと。いい迷惑だろうに。
でも、彼女のキレッキレの悲鳴混じりのツッコミは、ほんと癒やしなんですよ。頭おかしくなりそうになってるところで、大丈夫おかしいのかあっちだ、と太鼓判をおしてくれるようで。精神安定剤です。
まあその彼女をして、招かれた上流階級の橘ひかりのパーティーでは無力化されてしまったのですが。ついに、浜波を用いても場が和まなくなってきてしまった。
とはいえ、もはや司郎にとっても、住む世界が違う、なんて理由は効果ないんですよね。ちゃんと精神的ダメージ受けているけれど、それで身を引こうという発想は生まれない。ダメージを受けつつ、やっぱりどうでもいいんだ、そんな事は。橘ひかりとの愛情に、そういう境遇の差というのは、理解しつつもどうでもいい。
社会的倫理もどうでもいい。本当にもう、どうでもいいのだ。ただ、肯定するのみ。

虚飾も、見栄も、理屈も、建前も、この3人から剥がされきってしまった。
暴走しているわけじゃない。剥き出しになっただけだ。倫理も社会的道義も一般常識も、もう彼らの本音にとって、まとわりつく邪魔で鬱陶しい衣に過ぎない。
本音を覆い隠すには便利なものかもしれない。そも人はそうした衣をまとうことで、社会の中に生きている。そうしてつく嘘は、生きていく上で必要な防寒着だ。
でも、度重なる司郎の肯定は、彼女たちから本音を隠す衣を何度も何度も引っ剥がしていった。何もかもをさらけ出さないと、生きていけないようにしてしまった。
素っ裸だ。彼女たちは、もう肌に何かをまとわりつかせると、呼吸すら出来なくなってしまっている。息ができない、呼吸が出来ない、その筆舌し難い苦しみから逃れるために、彼女らは裸になる。ぜんぶ、剥き出しにしてしまう。それを、司郎にも求めだした。何もかもをさらけ出せ、と強いだした。
結果がこれだ。嘘のない関係が、これほどまでにえげつないものになるなんて。

嘘をつかなくなったからこそ、橘も早坂も、柳先輩という存在を無視できなくなってきてもいる。ただ司郎にだけ目を向けて、それ以外をなかったふり、見なかった振りをしていた頃は、視界の外においておけた人だったのだろう。
でも、本音本心剥き出しに生きるようになったとき、人は一人だけを見て生きているわけじゃない事に気付かされる。いつの間にか、2番目に好きなひとが出来ていたことに、不思議を感じない。
でも、やっぱり一番と二番には明確な差がある。でも、二番目は二番目であり、そこに確かに好きという気持ちは存在する。
そんな、彼女たちの揺れですら、彼は肯定する。否定しないのだ。

彼ら三人の関係は、本当に純化していく。不純物が取り除かれていく、と言っていいかもしれない。
橘ひかりと桐島司郎にとって、ちゃんと付き合うわけにはいかない大きな理由であり言い訳であった、彼女の柳先輩との婚約関係。親の事業の関係で切ってはいけない関係だったはずのそれは、柳先輩の鶴の一声で解消されてしまった。
最大のハードルと思われた、橘の母親はそもそもさほど強く婚約を強要していたわけではなく、柳先輩の家との事業提携も、娘が嫌がるならためらいなく解消するつもりでいるくらいの、さっぱりした人だった。
橘ひかりと司郎の関係についても、邪魔するつもりはとんとないらしい。

つまるところ、彼ら三人の関係を阻害する、外部から彼らの意思を無視して強要してくる要素は……彼らが何か運動するわけでもなく、あっさりと切除されてしまった。
外的要因の撤去。
これによって、桐島司郎と橘ひかりと早坂あかねの三角関係は、本当の意味で三人の感情、意思、判断以外のものが消え去ったと言っていいだろう。純化されたのだ。もう、言い訳のしようがない。仕方ない、と誰かのせいに出来ない。言い逃れも出来ない、責任転嫁も出来ない。
三人だけの問題だ。三人の心に決着は委ねられた、と言っていいんじゃないだろうか。
嘘も秘密も偽りも心の鎧も何もかもが取り払われ、剥き出しの三人がそこにいる。

彼らは、幸せを求めているように見えない。どう転んでも、彼らは幸せになれるように見えない。と言っても、それは世間一般の価値観による幸せの定義だろう。彼らの中では、特に女性陣二人にとって幸せの定義とは、違うものなんだろう。求めるのは、愛することか愛されることか。自分だけを、愛してくれる彼なのか。それさえ、手に入ればあとは何もかもがどうでもいい、そんな風に見える。
司郎も、彼女たちを幸せにしたい、なんて誠実ぶったことはもう考えていないだろう。求められるがまま求め、委ねられるがままに委ね返し……その先がどん詰まりだろうと、もう本当に、どうでもいい、そんな風に見えて仕方がない。ただ、彼女たちのことがどうでもいい、ってわけじゃないんだよなあ。肯定するってのは、そんな投げやりに出来ることじゃないんだから。

客観的に言って彼はクズ以外のなにものでもないんだろうけれど……うーん、普通のクズではないんだよなあ。優柔不断じゃないんだ、多分。いい加減でもないんだ、多分。壊れているというには、一貫している。
いずれにしても、彼もまた彼女たちと変わらないくらいの、モンスターなのだろう。
怪物三匹、果たしてこの延々と続く修羅場は、決着がつくんだろうか。つくとして、どういう形でつくんだろうか。わからん。本当に全然わからん。
そういう意味でも、なんかもう……すごいよ。