【おでん屋春子婆さんの偏屈異世界珍道中 1】  紺染 幸/あまな ブレイブ文庫

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偏屈婆さんが行く先々でおでんを振る舞う、異世界転移群像劇!!
春子は偏屈なおでん屋台の店主である。
酒はひとり二合まで、銘柄はひとつ。冷ならそのまま、燗なら徳利に入れて温める。 おでんのほかは、梅干の入った白飯にごま塩をまぶした握り飯と、甘いいなりずし。 そんなただのおでん屋なのに、いつも立ち寄る稲荷に二度柏手を打つと、知らない世界に飛ばされるようになってしまった。
だがしかし、春子は何も変わらない。いつでもどこでもおでんを、客に食べさせるだけだ。
おでん屋がただただ訪れた客に、あたたかいおでんを食べさせる。 ただそれだけで運命が少しだけ変わった、様々な事情を抱える人々が交差して生きる世界の、ぽかぽかおでん群像劇。


いや、これタイトル異世界珍道中って書いてありますけど、全然珍道中してませんからね!?
春子婆ちゃんのおでんの屋台、場所や時間を問わずに突然異世界で色々と事が起こっている真っ最中の所に現れる仕様で、春子婆ちゃん一切まったく異世界で移動してませんから。
その場でおでんとお酒を供して、お客さんが食べ終わったらさっさと元の世界に戻っちゃう仕様ですから。
そして、お客さんからすると屋台を訪れるんじゃなくて、完全に訪問屋台です。向こうから前触れ無くいきなり現れる謎の食べ物屋台ですからね。ダンジョンの最下層近くでダンジョンアタック中に現れる、なんてのは序の口。場合によっては部屋の中に現れますからね。
いや、そんな突然場所や状況を問わずに現れるんだったら、異世界のお客さんたち払う金持ってない場合があるんじゃないの? そもそも、異世界の通貨じゃ現代じゃ換金できないし春子婆ちゃん大損じゃない、と思う所なのですが、これが本作の面白いところ。いやあ、これは素晴らしいと思った所で。
代金、お稲荷さんが払ってくれるんですよ。春子婆ちゃんが異世界から戻ったら、食わせて呑ませた分の代金、ちゃんと置いてあるんですよ。このお稲荷様、自分の都合で春子婆ちゃん異世界に送り飛ばしてほったらかし、じゃなくてちゃんと代替えしておいてくれるという。こんな律儀な神様なかなかいないですよ。
お陰で婆ちゃんも、何回か経験したあとは向こうの人が代金心配しても、別で払ってもらうから気にするんじゃないよ、と気兼ねなく食わせる事に集中できてますからねえ。

そして本作、あくまで春子婆ちゃんはおでんを供する側の人間にすぎず、それ以上の分を越えず、主人公はお客さんたちなのですよ。
春子婆ちゃんが飛ばされる先は、往々にして異世界の人が切羽詰まってギリギリになっているところ。疲弊して生命の危機、なんてのばかりではなく、人生の岐路に立っていたり、苦しみに耐えかねて蹲っていたり。体力的な限界、というよりも精神的にギリギリまで追い詰められてる人、崖っぷちに立たされている人、そういう心の余裕を失っている人たちの所に、お稲荷さん……異世界側でもキツネの姿をした神様として尊崇を集めているみたいだけど、その神様が救済の蜘蛛の糸として春子婆ちゃんに協力願っているっぽいんですよね。
そして、偏屈ババアな春子婆ちゃんはごちゃごちゃお客に説教なんかしたりしない。愚痴をきいて相槌くらいは打つし、問われればがらっぱちにちょくっと思ったことも言ったりするけれど、あくまでおでんを食わせる立場を崩さない。だから、彼ら異世界のお客さんにとってここでおでんを食べる、というのは、追い詰められて失っていた心の余裕を、ひととき取り戻すきっかけでしかないのである。
でも、それこそがとてつもなく大きなきっかけでもあるんですよね。
あったかくて美味しいおでんを食べて、冷たかったりぬるかったり熱かったりするお酒を呑んで、そうしてつかの間狭窄していた視野を取り戻し、ほっと息をついて自分を顧みたり、周りを振り返ったりする余裕を、彼らは自分で取り戻すのである。
忘れていた初心を思い出し、怒りから失っていた正気を取り戻し、狭くなっていた心の隙間が広がって昔のように本音を言い合える時間が舞い戻り、言い出せなかった願いを大切な人に伝える勇気が湧いてくる。
おでんやお酒にバフ効果が乗っているのは、ちょっとした神様のご利益というものでしょう。でもそれ以上に、身体がポカポカすることで心もぽかぽか温まる。温まった心は前向きにぐいぐいと動き出すんです。やったるぞー! という気持ちになれる。力が湧き上がってくる。美味しくてあったかい食べ物には、そういうご利益あるんですよ。

いやー、一つ一つの話がこう……沁みるようなイイ話なんですわ。鍛冶屋の師匠と一番弟子が、初心を取り戻す話も良かったし、神童と呼ばれた少年が自分よりも優れた友人の出現に心乱されながら、そこから一歩踏み出して打ち解けあって、本当の親友になる話もすごく好き。
この純粋で未来に向けて突っ走る、故郷を飛び出して勉学のために都会の学校に出て、そこで無二の親友たちと巡り合う少年たちの話、特に好きだなあ。巻末のあの長期休暇に戻った故郷で新しい家族が出来ていた事にどうしようもない寂しさを抱え込む一人の少年のために、何も言わず夜通し彼のいる木の根元でただただ一緒にいる事を選んだ二人の少年。この3人の話は、もうなんかおじさん泣けてきてしまいましたよ。他にも友情の話あり、恋の話あり、誇りある仕事に邁進する話あり、家族の絆の話あり。どれもが、おでんを食べたときみたいに心をぽかぽか温かくしてくれる話で、身体の芯から心の芯から温まりましたよ。
いいなあ、素敵だなあ。

でもまだ、肝心の一人がぜんぜん温まってないんですよね。様々な話の中に現れる、この国の女王様。賢王であり、しかしずっとつらい思いをしながらこの国を守ろうと奮闘し、幾度も挫折しながら耐えてきた女王様。彼女だけは、きっと幼い頃にその温かさを味わって、でもきっとそれきっり。
王女から女王となって頑張ってきた一人の女性のもとに、このおでん屋台はいつの日か現れるのだろうか。そう願うし、そのときを見届けたい。