【モスクワ2160】  蝸牛くも/神奈月昇 GA文庫

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「あばよ、同志諸君!!」

西暦二一六〇年。米ソの冷戦が終わらなかった近未来のモスクワ。
戦争帰りの機械化兵がうろつき回り、張り巡らされた電脳網は当局によって監視され、裏では政府系組織と西側諸国のスパイやマフィアが殺しあう。
自由も真実も、未来も繁栄も、とうにどこかへ消え失せたこの街で、
今日も生身の傭兵ダニーラ・クラギンは、存在否定可能な人材《掃除屋》として短機関銃を片手に路地を駆ける!

愛するスターシャと、彼の帰りを待つ弟妹たちのために――。

大人気『ゴブリンスレイヤー』の蝸牛くも×神奈月昇が新たに放つ、ハードボイルド・サイバーパンク!

ゴブリンスレイヤーの蝸牛くもさんの新シリーズ。現在から2160年だから130年ちょいも未来の話にも関わらず、米ソ冷戦が終わらないまま続いた世界というディストピアなんですよね。
2160年というのも、これ未だに1960年代が続いているというイメージから来るものなんじゃないだろうか。100年以上未来の世界にも関わらず、全然未来感ないんですもんね。全身機械化義体みたいなものは軍人を中心に普及しているみたいなのに、民間の生活はというと全く豊かさが感じられない、冷気に閉じ込められたような心まで凍えてしまいそうな世界。
サイバーパンクと謳っているけれど、サイバー感が全然ないですよ!? サイバーというよりもデジタル感がないのか。コンピューターとかもちゃんと出てくるんですけれど、電脳世界というよりもニキシー菅とかブラウン管とかで構成された機械からパンチカードで記録された情報が紙テープで出てくるような、そんな最先端。近未来というよりもノスタルジー感たっぷりなんですよね。
もっとも、寒々としたソ連の大地にノスタルジーを感じられるほど、あの時代のあの国の都市部に対して知見を持たないのですけれど。
思い起こせるイメージというと、シュワちゃんことアーノルド・シュワルツェネッガーが主演した映画【レッドブル】の冒頭あたりで出た街並みくらいじゃないだろうか。他にも【007】シリーズや【レッド・オクトーバーを追え】などソ連と関わりの深い映画も見たはずなんだけれど、そちらではソ連の街って全然印象残ってないんで思い出せないんですよねえ。
それに比べて、シュワちゃんのあの映画で見た、暗く冷たく人工的でどこかの配管から漏れ出した蒸気の湯気がたゆたう街並みが不思議とイメージとして焼き付いてるんですよねえ。
そんなんゴッサムシティみたいなのと変わらんじゃん、と言われるかもしれないけど、あの暗さは兎も角、凍りつきそうな寒々しさはあのソ連の大地だからこそ、と思わされる空気の冷徹さがあったんですよねえ。
この作品を読んで、そのモスクワ……モスクワだったんだったか、忘れたけれどソ連の都市のあのイメージを思い出しました。あとは、やっぱりニトロプラスの【Phantom】と【鬼哭街】が、街の地べたで這いずるように生きながら、汚れ仕事で食いつなぐ姿が、連想されちゃったなあ。
でも、主人公のあの無戸籍でマンホールの下に住居を無理やりつくって、そこで孤児同士で身を寄せ合って暮らす姿は、発展した光り輝く街の陰に出来ているスラムとか、吹き溜まりというのとはまた違う、共産国家とか社会主義国の規制と監視によってガチガチに縛られて自由も何もない社会からはじき出されて、存在すら認められない人として認知されない者たちの世界という……上から下まで窮屈で冷徹で暗く寒々しい世界のさらにどん詰まり、という廃棄社会という感じがして、読んでいるこっちまで息をするのが苦しくなるような感覚だったんですよね。
特に、主人公のダニーラがまだ幼く、クズのような大人にただ搾取され続ける側の子供だった時代は。血の繋がらない同じ境遇の孤児である弟妹たちを守るため、決死の思いで自分たちの庇護者であり、搾取者であり支配者であった男を殺して、ようやく自由になったあともダニーラは生きるための糧をろくに得ることも出来ず、幼い弟妹たちを守るつもりがいつしか自分が死ぬ思いで稼いだ日々の糧を何もしない弟妹たちに搾取されていくという感覚に犯されていき、荒んでいた心がどんどんと凍りついていく、温もりを失っていく。弟妹に対して愛情ではなく憎しみが沸き上がっていく様子が、見ていて本当に辛かった。
そんな少年が人の心を殺されようとしていたとき、堕ちようとしていたその時に、彼は愛に巡り合ったんですね。
貧相で痩せぎすの同い年ぐらいの薄汚れた少女娼婦。彼女がダニーラに声をかけてきたのは、当然にように自分の身を売って金を稼ぐためでした。
でも、その時の彼女の台詞はこうだったんですよ。
「あなたのお金と、私のお金、合わせれば……少しは具の入ったボルシチが、作れますから」

これが、ターニングポイントだったのでしょう。買う者と買われる者だけの関係とは違う、二人にとって二人だけの特別な関係のはじまり。この台詞、一方的な与える関係でも上下を決定づけるものでもない、一緒に二人で温まろうという対等の、なんだろう体と体だけじゃない、心と心が触れ合うようなものを感じさせてくれて、なにか凄く胸に響いたんですよね。
彼女……スターシャとの出会いは間違いなくダニーラの人生を一変させました。彼女はダニーラのプライベートにも関わるようになり、彼と弟妹たちの住居環境にも積極的に介入してきて、行き詰まりかけていた彼ら兄弟の関係をも刷新してくれたんですね。
ただ自分から搾取していくように感じてしまい弟妹に対して愛情よりも忌々しさ、やがては憎しみの萌芽になりかねないものが芽生えはじめていたダニーラでしたが、住居環境が変わることで妹たちにもなんとか余裕ができて、彼女たちもちゃんと自分を守ってくれる兄を手助けしたいと考えながら日々生きることに精一杯だったこと。余裕ができたことで、彼らなりに兄を手伝ったり自分で仕事を見つけてきたり、とダニーラの精神を疲弊させるばかりだった環境が見違えるように改善していき、ダニーラと妹二人、弟一人の四人兄弟の間に前と同じ、いや前以上の本当に血の繋がった兄弟のような、それ以上の絆が生まれていったのである。
そして、この自由のない凍りつくような世界の中でも、その底辺の薄汚れた血に濡れた人としての存在すらも認められない場所でも、確かに人の心があることを、ぬくもりがあることを、愛があることを彼らは証明していくのである。
子供の時代を生き抜いて、それぞれ青年となり女性となっても、家族の絆はなおも強固に。スターシャと掃除屋の愛は続いている。
スターシャ、オペラ歌手として女優として大成しながらも、この国ならではというか、一方で高級娼婦として多くの要人に買われるような立場は続いてるんですよね。
でも、彼女の愛が捧げられる人はただ一人だけ。彼女が温かいボルシチを作って食べさせるのは一人だけ。日々の掃除屋の仕事で稼いだ金を家族に分けて、残りの紙幣の束を握りしめて愛する女のもとに通う日々。それは殺伐とした人でなしの毎日であり、しかし家族と愛する人に囲まれた幸せな日々と言えるのかもしれない。
本来なら、大人になって成功したスターシャをダニーラ程度では買えるとは思えないんだけれど、スターシャの管理者である婆さん、毎度ダニーラから金をむしり取る業突く張りに見えるんだけど、毎度嫌味と苦言を呈するけれど言ってることはだいたいちゃんとした忠告だったりするし、ダニーラから金を受け取るのはスターシャに会う前じゃなくて、いつも帰る時なんですよね。これ結構大事だと思う。それに、絶対スターシャを買う料金としては足りてないと思うんだけど、さっさと金を出せと急かすわりにその金額に文句を言ったのは見たことないんですよね。これ、ダニーラだけにはオマケしてるよなあ、絶対、絶対。スターシャの方もこのオババの事は親のように信頼しているみたいだし。
上の偉い連中の亡命騒動にスターシャが巻き込まれそうになった際も、ダニーラを遠ざけようとしたのはあれはダニーラの心配をしてのことだろうし、ある意味ダニーラに覚悟を問うていたとも言えますし。
愛する人を守るために、たかが一介の、機械化もしていない生身の掃除屋が、身の程を超えた死地に飛び込む覚悟があるか否か。一銭の得もなく、むしろ自分の持ちえるすべてを対価として差し出さなくてはならなくても、彼女を救う覚悟があるか。
一切の躊躇もなく、自分の何もかもを注ぎ込んで、普段クールな妹が泣きながら行けば死ぬと告げる死地に飛び込んでいく男の熱さは、この凍りついた世界を焼き尽くしそうに滾っていたよ。
そして、本来なら人と人の関わりなど損得と計算、監視と裏切りという冷徹で血の通わない論理でもってしか結ばれていないだろうこのディストピアで、しかしダニーラの一人の女を救うのだという行動に、次々と手助けしてくれる人達が現れるんですよね。もちろん、対価を受け取っての事が大半ですけれど、受け取った対価に見合う以上のことをしてくれたと思うんですよね、みんな。
そして、対価など必要せずにただただ家族のために尽力する弟妹たち。
なんだろう、思っていた以上に愛と人間の讃歌だった。いや、そういう意味ではいつものこの作者さんらしい作品だった、というべきか。