【ドスケベ催眠術師の子】  桂嶋 エイダ/ 浜弓場 双 ガガガ文庫

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前代未聞!? ドスケベ感動巨編!!!

「ドスケベ催眠四十八手――夢幻狂気」

転校初日に“狂乱全裸祭”を引き起こしたそいつの目的は、俺の協力をとりつけることだったらしい。

「私は片桐真友。二代目ドスケベ催眠術師。いえい」(だぶるぴーすぶいぶい)

――ドスケベ催眠術師。

俺にとっては悪夢そのものの名前だ。
誠に遺憾ながら、その初代こそが、俺の父親だからである。
縁を切って、苗字まで変えたのに。

「サジ。ドスケベ催眠術師の子として、私の仲間になってほしい」
「断る」

催眠女子×闇系男子のタッグ成立!? ドスケベ催眠×青春コメディ!!


史上最強レベルに脳裏に焼き付くパワーワードなタイトルである。
これが単にえっちぃ系のレーベルから出版されるえっちな小説ならそこまで目立つタイトルでもないんですけどね。このタイトルを堂々とライトノベルレーベルの新人賞に叩きつけてきただけで、ある意味掴みはOKってなもんである。
しかし読んでみると、本気でドスケベ要素が一切ない。近年のラブコメでまき起こるラッキースケベな展開も殆どなかったんじゃなかろうか。初手のクラスメイト全裸祭りからして、起こっている出来事に対して情動や性欲を催させるような描写が一切ないんですよね。
それもそのはず、二代目ドスケベ催眠術師を名乗る真友も初代ドスケベ催眠術師の子として迫害を受けてきたサジも、そもそも人を人とも思ってない類の人の心を持たない怪物の類であったのだ。
最初から、自由に意思も記憶も操れてしまう他人は肉人形としか思えないと明言していた真友に対して、父親の悪名に苦しめられて迫害され地獄のような幼少期を送ってきた末に、両親が離婚して名字をかえてドスケベ催眠術師の子であるという痕跡を一切消し去って、普通の学生生活の中へと埋没していたサジの方は普通の感性の持ち主だと思ってたんですよね、最初は。
ところが、自称合理主義者を名乗るサジの言動の端々に、徐々に異質なものが見え始める。
こいつ、人の心が無いんかい?! というような反応がチラホラと見え始めて、冗談交じりに人の心が無いように見えるなこいつ、なんて軽く考えていたのが、段々と真剣深刻に……あれ? こいつマジで人の心とか気持ちとかに一切価値もなにも認めてないんじゃないか、としか思えないえげつない素振りを見せ始めるんですね。
これだけ幼少期から他人の悪意に傷つけられてきたのに、心を痛めつけられる苦しさ、無神経に踏み躙られる恐ろしさを味わってきたからこそ、病的なほどにドスケベ催眠術師の子である事を隠してきたにも関わらず、損得で合理で簡単に他人を切り捨てられる、約束を破棄できる、絆めいたものを手放せられてしまう。
終盤に行くほど、彼が怪物に見えてきて背筋が寒気でゾッと震えたほどに。

他人が肉人形に見える、と嘯きながらも、ドスケベ催眠術を一生懸命人の役の立てようと様々な事件や相談事に首を突っ込んでいく真友が、実はその名前の通り真友な子なんじゃないかと思えてくればくるほどに、対比としてそれを手伝いながらも一切なんの情動も抱いていないサジの違和感が際立っってくるわけですよ。
そりゃ、こんな二人である。他人の裸を見ようが操ってエッチな振る舞いをさせようが何の興奮も悦びも盛り上がりも見せないでしょう。まあ、そんなだから最初からそういうエッチいことを起こす動機も持たないので、実際何も起きないし起こさないのですが。最初の二代目デビューのお披露目全裸祭り以外は。
そんなだから、むしろその最初の1回目が大問題になってきてしまうんですけどね。
件の事件の犯人が、実行犯である真友ではなくドスケベ催眠術師を父に持つサジの仕業であると誤解され広まってしまったのは、ドスケベ催眠術師の子というレッテルを誰もが無条件に信じて決めつけてしまった無責任さ、短絡さこそが主要な原因ではあるんですが。
同時に、サジという人間の非人間的なほどの合理性が醸し出す違和感、同じ人間としてこいつなんかおかしい、と感じさせてしまう異質さが、つまり彼への信頼感の無さがそれらを助長してしまった所もあるんですよね。
逆に、これまでの真友と行った人助けによって助けられた、手を差し伸べられた経験を持つ子たちが声をあげて、それはおかしい、その決めつけは違うんじゃないか、と言ってくれたのは真実の重みを感じさせてくれる。類なんて、サジの異常性を誰よりも目の当たりにしてただけに、それでもなお声を上げてくれたのはシンプルにすごいなあ、と思えます。
それが、過去に声をあげられなくて孤立する真友を救えなかった事を今までずっと後悔してきたという積み重ねがあったとしても。
結局人の心を持たない怪物たち……実際は催眠術によって変質させられていた部分も大きいのですけれど。そんなヒロインと主人公が人の真似をして人を助けていくことで、逆にその人達にまた助けられて、本来持っていた人の心を取り戻していく、という愛の循環の物語でもあったんだなあ、と。
サジが苦しむ発端の出来事、親子参観日の発表会からしてあれは父親の愛によって始まってしまったことで、サジのあの異常な状態もサジを救うための父の愛だったわけですしねえ。
……いや、結局だいたい全部原因は父親であり、彼の後の事を考えない独り善がりな行動の結果であり、あのパパさん愛はあふれるほど合ったのかもしれないけど、やっぱり人の心はわかってなかったんじゃないだろうか。だいたい、父親を許せたら催眠術が解けるって、条件がある意味鬼畜じゃない? その為に、ドスケベ催眠術という概念そのものの社会的地位を、父が広げてしまった悪評をひっくり返し誇るべき素晴らしいものと認知されるものとしよう、と評判向上のために頑張っていたらしいけど。それを二代目の真友にも引き継がせちゃったり(彼女にそのメンタルクリーニングが必要だったとしても、よ)、根本で勝手で被害を深化拡大させちゃってるんだよなあ。
ビデオメール一発でその父を許してしまったサジは、真友の言う通り相当にちょろいと思われ。
でもなー、そうかー。本来元々は、サジってお父さんのこと大好きだったんですもんねえ。三つ子の魂百まで。むしろ、催眠術によってその想いは純粋なまま密閉されて保存されてしまっていたのかもしれない。それに、もう亡くなっている以上、会えないもんね。
父の代わりに自分に会いに来てくれた真友のことは、さてまだよくわからんよね。ただ、あっちが必要あって求めてくる以上、それを突き放すほどには嫌っていない。むしろ、ほどけだした合理主義の隙間から真友と過ごす時間と空間に確かな価値を感じ始めている。そこに情はあるんだろう。まだその情に色は付いていないにしても。