【飯楽園―メシトピア― 崩食ソサイエティ】  和ヶ原 聡司/とうち 電撃文庫

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不健康⇒射殺!? やり過ぎ健康社会・日本に立ち向かえ!

《メシトピア》――突如施行されたヘルスケア政策は、食料自給率や健康寿命を改善し脚光を浴びた。
だが、その実態は基準に満たない「不健康な食事」、そしてそれらを摂取する「不健康な人間(アディクター)」を社会から隔離・抹消する危険な命の選別だった!

料理人を志すアディクターの少年・新島は、厚労省が率いる《食防隊》の魔の手から逃れるなか、生真面目な食防隊員の少女・矢坂弥登と出会い、ワケあって二人は禁制品であるカップ麺を口にしてしまう。

「お願い! 私もう一度、カップラーメンを食べてみたいの――!」
「おまえ食防隊だよな!?」

それ以来、ジャンクフードの味を知った矢坂弥登が捜査と称して通い詰めてくるように!? 果たしてメシは銃よりも強いのか……?
食と自由を巡るメシ×ディストピア! 命がけの逢瀬が幕を開ける!

これはホンマモンのディストピアぁぁ!!?

あらすじや口絵の感じからして、これって単に禁酒法をちょ、っと軽くした感じの体に悪そうなジャンクフードを規制するようになった社会と、そんな法の網の目を潜ってジャンクこそを嗜好するカップ麺ジャンキーみたいな違法業者を取り締まりながら、ジャンクフードの魅力に惑わされる生真面目な捜査官がジャンクに堕ちていくドタバタコメディ、みたいなライトな話かと思ってたんですが。

そんなもんじゃなかった!

禁酒法時代みたいに、表向きは禁止されながらも何だかんだと一般庶民にも闇でインスタント食品が出回っていて、本気で取り締まっているのは四角四面の堅物か利権に関わる人間くらい、という程度の禁止具合だと思い込んでたら。
カップ麺とかどころじゃない、食品添加物から天然素材以外の調味料から使った食品は全部禁止。農作物も有機農法だけで農薬やら化学肥料なんかも全部禁止。環境ホルモンの作用する可能性のあるもの全部禁止。海外からの何を使ってるかわからない遺伝子操作されてるかもしれない輸入食品、加工品、農作物など全部禁止。という、ちょっとでも人体の健康を阻害する危険性を孕んだ食物は全部、国民の健全な健康を維持するために禁止! という完全にどうかしてる政策が真面目に実行された社会だったのである。
いや、こんなんどう考えても無理やん!? と、思ってしまうのは正しい。どう考えても、まともな社会が維持できるだけの食料供給できませんもんね。肥料も農薬も制限された農業がまともな生産量を維持できるか。添加物を使用しない食物は消費期限が想像を絶するほどに短い。地産地消以外国内流通もまともに叶わないんじゃないだろうか。
海外からの輸入品すらも徹底して制限している様子ですから、これもう人口を維持できる規模の食料をまともに確保できるとは思えないんですよね。
実際、この日本では食料品の価格は高騰どころか暴騰しているようで、普通の食料品が化粧品なんかよりも当たり前に高い、みたいな描写がさらっと盛り込まれている。

でも、健康のことを考えるなら、人体に悪影響を及ぼす可能性のあるものを含んだ食物を危険と考えることは「正しい」ことなんですよね。
それはきっとそうなんでしょう。でも現実問題として考えると、そうした正しさは時として実態を無視した荒唐無稽ともなる。
たとえ、その悪影響が科学的に見て問題ないとみなせる範囲だったとしても、極端な摂取方法でないと影響が出ない程度のものだったとしても。それは「健康的ではない」ことは間違いなく、それを批難し糾弾し正して排除しようとするのは「正しい」行いの側のこと。
当たり前の「正しさ」を守るためにすべてを管理し、当たり前の「正しさ」を脅かそうとするものを過った側「敵」と見做して徹底的に排除しようとする。
まさに全体主義であり、ディストピア以外のなにものでもない。
この作品のディストピア感は、食い物というあまりにも身近なモノ、生きる為の糧にまつわるものであるせいか……いや、それ以上に権力欲とか利権など以上に本気でこれを正しいこと、真っ当な人間らしい在り方を成立させるために必要だと信じて、合理性じゃなくてお気持ちを優先したことで成立した管理社会が、実際ありそうな現実味がひしひしと感じられてなんかゾッとさせられたんですよね。
よくあるディストピアものが、怖い怖いと思いながらもどこか別の世界の話という他人事といった感覚があったのに対して、この作品に日本は現実と地続きの本当に起こりかねない嫌なリアリティがあって、ものすごく気持ち悪かった。
あと、お米がもう幻の高級食材で殆ど国内では生産できなくなってしまっているというのは、米がないとかもう日本じゃねえよ!感が強くて、もうこれ以上ないディストピアだよ!

これ実際問題、この日本って近未来。第三次世界大戦というかつての世界秩序が一旦崩れ去ったあとの世界の話で、多分これ政府はちゃんと日本全土を管理下には収められていないんじゃないかな。
いやここまで食料管理制限してしまったら、人口激減だろうし、外国とちゃんと交流あるんだろうか。なんか鎖国してるんじゃないか、と思えてくるんだけれど。人口減ったら国力もガンガン減ってるだろうし、日本人が食い物の自由を喪って活力を維持できるか、これ?

主人公にニッシン含めた「不健康な人間(アディクター)」たちは、管理社会の内側に潜む反社会勢力、ってわけじゃなくて、もう政府の管理する地域で生きていけなくて、その外側に追い出された上で独自にコミュニティー作って生きている化外の民なんですよね。あらすじ読むと、管理者側であるヒロイン・矢坂弥登と主人公は同じ街中に住んでて、しょっちゅう様子見に来るみたいな軽い感じで書かれているけれど、もうこれ半分内戦状態じゃないの?というくらい住む場所がくっきり別れた上で弾圧と抵抗のドンパチを実際死傷者が出る形で繰り広げられていて……。
弥登がニッシンのもとに来るのも、もはや亡命か脱柵というくらい大変な事だったんですよね。そして弾圧する側の尖兵である食防隊のエリートであった弥登が、ニッシンたちのコミュニティーに来るという事がどれほど危うい事だったかは……まあ想像するのも容易でしょう。
実際、身内を強制労働施設に送られたり殺されたりした人などに襲われかかったりもするわけで。
それに対して、堂々と自己弁護せず卑下せず、対等な相手に対する自らの言葉で相対した弥登の立ち居振る舞いは見事なものでした。
弥登の側の「正しさ」って決して間違えた「正しさ」ではないんですよね。正しいは正しい、ちゃんと真っ当に正しい考え方なんだ。それを弥登の主張は思い出させてくれる。一方で現実を無視した正しさの強制、正しさ以外の否定がもたらすもののおかしさ、歪みを感じたからこそ弥登も自らの立場を放り投げる形でニッシンのところに飛び込んできたわけで。
健康に対する正しい理念を信じているからこそ、そこから生じる歪みから目をそらさず、正しく疑問を抱いてこちらに飛び込んで現実を直視しに来た弥登って娘は、凄いなあと思うんですよね。
そんな彼女だからこそ、ニッシンは死にかけていた彼女をかつて助けたわけだし、今回迷惑でしか無いお荷物である彼女を受け入れたのでしょう。恋敵となるだろう明日音が何だかんだと弥登と一番仲良くなってしまったのも、横須賀のコミュニティーが黙認したのも、それだけ弥登が一本筋の通った在り方をしていると身を挺して示したからなんでしょうね。

とはいえ、弥登もまた自分がこれまで信じて身を投じてきた理念が、どれほど悍ましい現実をもたらしていたかを知らない、特権階級側の人間であったことをこの横須賀の街の裏で見せつけられ、徹底的に打ちのめされるのですけれど。
当たり前なんですよね。こんな無茶苦茶な食糧政策していて、人口が維持できないような食糧生産体制になってしまって、その管理から外れ、追い出されてしまった人たちがどうなるか。
ニッシンたちのようにたくましく殆ど反政府活動的なことをしながら違法に食料を確保してコミュニティーを維持しその中で生きていける人たちってのは、まだ幸運な方であり強い人達なのである。
本当の弱者は、ただ打ち捨てられていくのみ。
この作品の日本では、餓死者が当たり前のように出てるんですよ。

食の安全のためならば、健康のためならば、飢えて死ね。

実際にこう管理社会側がこう言ってるわけじゃないけれど、現実にはこの言葉そのものの事を強いていて、実際に多くの人々が人としての尊厳も失われて飢え乾いて死んでいっている。現実を見ない理念にのみ生きる人々の作り上げた社会の周りには、見るもおぞましい飢餓地獄が広がっている。

弥登の矜持が、心が、べきべきにへし折られるあのシーンは壮絶でした。

極限の飢餓状態でニッシンが食べさせてくれた違法食品「カップ麺」のあの天上の味わい。その味を忘れられず、そしてそれを食べさせてくれた男を忘れられず、家族も任務も放棄して無謀としか言えない、それこそ駆け落ち紛いのことを仕出かしてきた弥登。
しかしインスタント食品の魔性に魅入られただけとか、男に現をぬかしただけ、ならこの娘はそこまではしなかったでしょう。やはり飢餓の極限状態を経験したことによって抱いた食への疑問が、彼女を走らせた。
食の安全を守る食防隊の一員としての矜持こそが、疑念をそのままにしておけなかったというべきなのだろう。誇り高い女性だったのだ。
しかし、自分たちの側が強いたことによりこの世に現れた地獄を見せつけられたことで、彼女の寄って立っていたものは崩れ去ってしまう。
そんな彼女を支えたのが、現実を地獄を弥登に見せつつも彼女を否定せず、今のこの国の様々な側面をいろんな所に連れ回し、また弥登ひとりに歩かせ、管理社会の外側にある食の日常に携わらせてくれたニッシンだったんですよね。
だからこそ彼女は、最後まで誇りを失わなかった。失えなかった。食の安全を守る食防隊の一員として、彼女は本当に戦うべきものを見つけてしまうのである。

ほんとこのヒロイン、真面目すぎるというか。真っ当すぎるというか。自ら一番酷な道へと突き進んでいっちゃうんですよね。思わず、もっと堕落しても良かったんよ?とイイたくなってしまう。まあそういう娘だったら、明日音にも横須賀の人たちにも受け入れられなかったでしょうし、あの部下たちにもあそこまで慕われなかったんでしょうけれど。
ひたすらしんどい道へと行ってしまったなあ。ニッシンに責任があるわけじゃないんだろうけれど、弥登さんはもうちょい幸せにしてあげてほしいわなあ。


しかし、こういうディストピアもの……というよりも日本の国内で治安が悪くなって内乱内戦とまではいかなくても、武装したもの同士がたびたび銃撃戦を発生させているような荒廃した世界観だと、なんでこうも「多脚戦車」が似合うんでしょうね?
すごくしっくり来る。日本の国土にやっぱり合うんだろうか、多脚戦車。ちょっと伊都工平さんの【天槍の下のバシレイス】を思い出してしまった。