【オーク英雄物語 5 忖度列伝】  理不尽な孫の手/朝凪 富士見ファンタジア文庫

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オークの英雄はサキュバスの国で『大切なもの』を捨てる時に備える――

花嫁候補を求めデーモンの国を目指すバッシュだったが、『水の精霊』の願いを聞き、オーガ族の兄妹ルドとルカを助ける。
「オレを、あなたの弟子にしてください!」
母である大闘士ルラルラを殺され、仇を討つため旅をするルドとルカに懇願され、英雄は初めての弟子を取ることに!
弟子になったルドを鍛えながら仇を追いかけ、バッシュたちはサキュバスの国へ立ち寄る。
「食堂に興味はおありですか?」
「無いと言えば嘘になるな……」
女王の提案により、サキュバスの食事を見学することになり――。
『大切なもの』を英雄は守り抜けるのか!

オーク英雄(ヒーロー)バッシュの世直し旅……って、これ時代劇の系譜だったのか!? え? 今更ですか?
父の仇を討つために故郷を旅立ち幾歳月。まだ若い姉と弟がどうやったって勝てそうにない古強者の侍相手に決死の覚悟で挑もうとするのを助っ人として手伝う話、というのはこれ時代劇の定番とも言えるストーリーなんですよね。
水戸黄門でも暴れん坊将軍でも三匹が斬るでも、長期シリーズとして放映されたテレビ時代劇にはほぼ仇討ち助っ人回というのがあったんじゃないだろうか。
まあ今回の場合はオーガの兄妹であり、仇も父を殺した相手ではなく母を殺した相手なのだけれど。
溺れかけた所を救ってくれた「水の精霊」に請われたことで、刻々と魔法戦士になってしまうリミットが近づいているにも関わらず、余計な面倒事を抱えるはめになってしまったバッシュ。
ほんと、急いでいるにも関わらず、精霊の願いを無視するとえらいことになるという歴史的事実があるとはいえ、そういう理由よりも命を救われた事の義理を果たすため、という理由に重きを置いてオーガの兄妹の面倒を放り出さずにちゃんと見てあげるあたり、ほんとこのオークヒーロー真面目だよなあ。
しかも、敵討ちに血道を上げている小僧はというと歴戦の勇士だった母とは裏腹に……まだ何も学ぶ機会を得る前だったのか戦い方も知らないど素人という、バッシュからしてもこれどう扱ったらいいの? という師匠と弟子云々以前の、強くするしない以前の段階だったにも関わらず、適当に投げ出さずにこの場合最適とも言える地道な体力づくりから始めるあたり、この男ほんといい加減なことしないよなあ。
いや貴方、もうすぐ童貞猶予期間が切れてしまって魔法戦士にジョブチェンジしてしまうタイムリミットが迫っているというのに、そんな事してる余裕なんてないのにねえ。
当人もけっこう焦っているんですが、放り出さないんだもんなあ。偉い男である。

肝心の嫁取りの方も今回迷い込んでしまったのはサキュバスの国。ただでさえサキュバスは初めてを奪われると魔法戦士化が確定してしまう地雷種族。おまけに現在サキュバスの国は敗戦から食料供給を絞られた挙げ句国家規模の飢餓に見舞われていて国情が不安定になっている真っ最中。
そんな中に飛び込んできたバッシュみたいな精力たっぷりのオークなんて存在は、それこそA5ランクシャトーブリアンな牛肉が鍋とすき焼きの具材一式背負って自ら飛び込んできたようなもので、カモネギの最上位互換じゃないかこれー!?
にも関わらず、かつての大戦中に種族ごと最悪の戦場でバッシュがしんがりを請負って救ってくれた恩を女王や特に精鋭と知られた部隊の連中が決して忘れることなく、飢餓状態の本能を完全に抑えきって彼を恩人として、敬服すべき英雄として迎えてくれるのです。
このサキュバスたちの軍人たちの厳格な規律に則ったキビキビとした姿は、特に飢えを食欲を抑えて毅然と振る舞う姿は誇りに準じていて、これが何とも格好いいのですよ。
もちろん、若い世代、大戦時代のオーク英雄の活躍を知らない、あの地獄の戦場を知らない死線をくぐり抜けた事のない小娘どもは、誇りよりも飢えに負けてしまうのですけれど。
あの無双の英雄であるバッシュが、その相棒である妖精のゼル。このコンビがサキュバスには為す術もなく敗北を喫するのである。相性の怖さというものもあるわけですけれど、バッシュも無敵ではないんですよね。
この英雄は一兵卒から成り上がっただけあってちゃんと敗北の味も知っていて、決して増長しないのも強い理由なんだよなあ。今回の敗北もちゃんと噛み締めているだけにさらに強くなりそう。
実際、オーガ兄妹の仇である名乗らん人種の女との戦いでは常人では理解の出来ない領域のすさまじい戦いを繰り広げるわけですし。
むしろ、このバッシュと真正面から撃ち合えるやつが、再び戦いを起こそうと魔王復活のために暗躍している組織の中にいる、という事がなんとも恐ろしい。前巻のサキュバスもそうでしたけれど、今回の名前を名乗らない傷の女も何かしらの理由あって、或いは今の戦後の世界に絶望してあがいているのであって、悪意や野心に唆されて動いているってわけではなさそうなのが、むしろより強い信念を感じさせて、強者の雰囲気が拭えないんですよねえ。
いやしかしマジで強かったなあ。何気に戦後の今の時代にこれだけバッシュと真っ向からどっちが勝つかわからない戦いができる相手が出てくるとは。エルフのサンダーソニアでもここまでできるかどうか。

バッシュ本人はほんと、嫁を探しているだけにも関わらず、どうしてもその勇名がトラブルを引き込んでいく。まあお陰で大戦が終わったあとの負の停滞を、バッシュの旅が無自覚にかき乱して彼の誠実さが人々の中から他種族への疑念ではなく信頼と共栄を広げていっている、というのはやっぱり面白いよなあ。

しかし今回の詳しく語られたサキュバスの生態は興味深いなあ。彼女たちにとって、精の奪取というのは種として徹底してただの食事、栄養補給に過ぎないんですねえ。彼女らの感性では性行為には一切、好意や恋愛感情、愛情の介在する余地がないのか。だから恩人であり英雄として崇め、尊敬する敬愛する相手であるバッシュに対して、そういう欲求を向けるという事はただただ失礼でしかない行為なんだなあ。なんだかんだ、他の世界のサキュバスだと食欲を満たす行為の中に愛情も芽生えて、という展開が良くあるわけですけれど、本作のサキュバスにはそういうのまずなさそう。
その一方で他種族の雄を単なる食料として見る事をこのサキュバスたちは大戦中にバッシュに救われた事や敗戦の影響、そして今回国家的な飢餓状況に対して真摯に支援の手を伸ばして貰った事で止めつつあり、バッシュだけでなく人類の英雄であるナザール殿下にもサキュバス女王が敬意を抱く関係になったように、大きく変わりつつあるんですよねえ。
こうしたバッシュの旅によって波紋のように広がっている種族間の在り方の変化は、魔王復活の動きにもまた影響を及ぼしてきそう。単に戦って相手の思惑を叩き潰す、という展開じゃない流れがありそうで面白い。
にしても、バッシュはそう言えばゼルにも魔法戦士になるリミットについては話してなかったんだっけか。そりゃ、自分が童貞って事は軽々に言えないもんなあ。ただ、今回オーガのお嬢ちゃんがもうちょっとちゃんと大人の年齢になったら嫁になる! と、今までのふんわりとした好意じゃなくてはっきりとした約束をしてくれた事で将来確実に嫁が一人出来たわけですから、ゼルが取り敢えずこれでオッケーなんじゃない? とちょっと一件落着した空気出しちゃってるの拙いんだよなあ。なんだかんだとあんまり正確ではないにしても、ゼルがあれこれと教えてくれたり情報取ってきてくれた事がバッシュの嫁取りの旅の推進力にもなっていたわけですしね。ゼルがあんまり動いてくれないと、バッシュも何したらいいかわからなくなって動きが鈍ってしまうんじゃないだろうか。バッシュの焦りをゼルが共有していない、という齟齬が今後色々と怖い所があるんですよねえ。さてどうなるか。