【VTuberのエンディング、買い取ります。】  朝依 しると/Tiv 富士見ファンタジア文庫

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『推し』の最期をプロデュースする救済と再生の物語――

VTuberアイドルグループ『星ヶ丘ハイスクール』所属の
VTuber――夢叶乃亜。

彼女を推すことに青春の全てを捧げ、V界隈でも名を馳せていた高校生の苅部業は、乃亜の魂の醜態がネット上に晒され、大炎上したことで人生が一変する。
「おれはあの夜に死んだ……」
運営から推しの臨終を告げられ絶望した業は、高校を休学し一年後VTuberの炎上ネタを扱うブロガーとして日々を過ごしていた。
そんな業の元に『自分のVTuberを炎上させてほしい』という依頼を持ち込む美少女、小鴉海那が現れ――。
「これは人助け……いえ、VTuber助けみたいなものです」
『推し』の最期をプロデュースする救済と再生の物語。
第35回ファンタジア大賞〈大賞〉受賞作!



やっぱりVTuberって独自の文化圏を築いてるよなあ。
と、思うのはVTuberというものに一切触れた事がないからでしょうか。
でも、他にも今まで触れたこともない文化、クラスタについて描かれた小説作品など幾らでも読んだことありますし、それらだって独自の世界を築いているわけで、理解が及ばない世界だってありましたよ。
でもVTuberの世界ってなんだろう、理解は出来るんですよ。大枠から内実にいたるまで全然理解出来るんですが……ああ、そうか、なんかわからないというか得体が知れない、なんでそうなるのかわからない、となってるのってファンの方なのか。
VTuberって特にファンの声をダイレクトに聞いて反応しながら配信することからファンが近いどころか、ある種一体化した存在になるんですかね。
VTuberという業界を主題として描いているライトノベルは最近とみに増えていますけれど、自分は本作以外には【アラサーがVTuberになった話】くらいしか読んでいないのですがやっぱりVTuberを描く時ってそのファンも引っくるめて描かれてるんですよね。
今まで、様々な業種業界文化、界隈クラスタのお話を読んできたつもりですけれど、テレビアイドルや声優、ミュージシャン。スポーツなんか引っくるめても、自らの能力や才能魅力を切り売りして発信する人たちなどには特にファンや信者などがつきものでしたけれど、彼らがどんな形でファンにアプローチするのか、どんなふうに発信して繋がっていくかなど、ファンとの繋がりを重視する話は幾らでもありましたけれど。
VTuberみたいに不可分に一体化していたわけじゃないと思うんですよね。
だからアイドルや声優なんかを描くにしても、その顔がファンの方向を向いているとしても、描くものはその当人の仕事への向き合い方だったり能力の向上だったりで、ファンや信者の反応みたいなのは後からついてくるようなもので、明確な区分があったように思うんですよね。
でも、VTuberはファンが主体とは言わないけれど、区分できない一体性があって、ファンサイドの独自の世界観・価値観・ルール・秩序・法則にVTuber自身も明確に左右されてしまう。
こういうファンサイドのスタンスを主体的に見る物語を、思えば自分は殆ど読んだことがなかったように思います。おまけにVTuberについて実際に触れたこともない。だから、VTuberというシステム自体には何ら理解が及ぶのに、VTuber界隈を描く物語となるとそのVTuber自身たちもが呑まれていく界隈の動静に凄まじい未知を感じてしまうのか。
なるほど、なるほど。今自分で書きながらなんか腑に落ちた気がします、なるほど。
作中でも、VTuberがファンを認知するんじゃない、自分たちが認知するんだ、という話をしてましたけれど、なるほどそういう事なのか。

本作は、まさにそのVTuberの筆頭信者だった(過去形)という人物が主人公であり、ファンの側でありながらVTuberそのものに魅せられてそのガワを被った少女がヒロインであり、VTuberという器の中に入る者、それを外から見守るもの。様々な立ち位置に立ちながら自分の中に生じて凝り続ける未練をもどかしさを持て余す人々を、もっとも未練と後悔に焼き焦がされる主人公が救済し、迷う魂を供養していくお話でありました。
供養って言葉を使いましたけれど、色々と考えてこの主人公について思い浮かんできたのが
無念の果てに討ち死にした主君の菩提を弔うために、仕官を断り出家して山に籠もる戦国武将、みたいなのなんですよね。いや、なんだそれ、と我ながら思ったんですけれど、いやいやそこまで筋違いではないかもしれないぞ、と。
高校を休学して俗世から離れ、彼は人知れずご臨終と相成った推しのVTuberが遺した余波を、ずっと後始末していた。これは死んだ推しの供養と言っていいんじゃないでしょうか。その残滓が未練によって彷徨い出てこないように、成仏できるように念仏を唱えるように余燼を燃やし続けていたのだから。
人形供養じゃないけれど、彼は炎上させることによって荼毘に付す、或いはお焚き上げのようにして、推しの供養を続けていたんじゃないだろうか。
そんな高僧めいた隠遁生活を続けていた彼の前に、同じ推しに魂を捧げていた少女が推しと同じVTuberとなり、その器となる娘を炎上させて終わらせてほしい、と頼んでくる。
そうして彼は、VTuberの終わり方を悲劇だけではない、救済による終幕へと導くために隠遁生活から立ち上がる。
ただひっそりと菩提を弔い続けるだけが供養ではない。終わったものは、いずれまた再び生まれなおし夢を追い続けることもある。それそのものの魂が生まれ直すことはなくても、その推しにファンが抱いた夢を引き継ぎ再生を果たすものもあるかもしれない。
一人のまだ未成熟で何も成し遂げていない、しかし確かに皆の推しであった魂を継承したVTuberによって彼は心のうちにある執着から解き放たれ、苦行を終え、悟りを得る。
見届けることが、見守ることが、支え導き……推すことがかつての推しへの供養ともなるのだ。
南無。
まさしくあらすじにある通りの「救済と再生の物語」でした。
いや、なんか途中から仏門みたいな解釈を得てしまいましたけれど、本編別にそういう方向性は全然ないですからね。失礼しました。