【ほうかごがかり 3】  甲田 学人/potg 電撃文庫

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恐怖と絶望、そして熱狂。鬼才・甲田学人が贈る、新たなるメルヘン。

僕らの手には『それら』と戦う力はない。だけど。

二森啓は思っていたのだ。もう自分は、いつ死んでもいい存在だと。
だがもう、それは叶わなくなった――。
大事な仲間を立て続けに失い、悲しみと絶望感に覆われた『ほうかごがかり』。そんな時に啓が示した明確な意思をきっかけに、『太郎さん』は隠された事実を明らかにする――「七人目の『かかり』だよ」
どうやら前年から『かかり』でありながらも、ずっと役割を逃れている人物がいるという。それを知らされた啓たちは……。
「…………ほんとに、あれがやってたことを引き継ぐのか?」
理不尽、そして怒り。追い込まれていく子供たちの、死を決した闘いの記録。鬼才が放つ恐怖と絶望が支配する“真夜中のメルヘン”第3巻。


小学生すごい。
いやマジで。この物語を読むと、この世界を子供達が命懸けで守っているようなものじゃないですか。
人間が穏やかに暮らしていける世界を、小さな子供達が文字通り命を費やして守っている。途方もない犠牲を払いながら、維持している。
今回の表紙絵、学校の門の外を手を繋いだ顔の見えない子供達がぐるっと囲んでいるじゃないですか。はじめて見た時はぞっとしましたよ。まるで、「ほうかご」に捕まった子供達を外に逃さないようにしているみたいじゃないですか。はたして、それは犠牲になった子供たちの怨念が、同じように悲惨な末路を辿って自分たちの仲間に加わる子供たちを逃さないようにしている、と思っちゃったんですよ。
違った。全然違った。

違ったんだ。

彼らはほんとうの意味で、死んですら守っているのだ。世界を、このほうかごを脱した子供たちを。

今回は、前回までと違ってそれほど怖い感覚は味わうことはありませんでした。
当然でしょう、だって誰もこれだけの絶望と悪夢を前にして、怖がらなかったんだから。
絶対に訪れる死を、必ず自分たちを殺すだろう怪異を、もう啓も菊も微塵も怖れていなかった。
それどころか、一矢報いる。死なば諸共。死んでも傷をつけてやる。と、もうふたりとも自分が死ぬ事に関しては完全に受け入れているんですよ。覚悟をキメてしまっていた。
……それに関しては、実のところ啓も菊も最初からそうだった、とも言えます。惺を含めて、彼ら三人だけは最初から自分の生存は度外視していた。
それでも、他の子供たちは生かして卒業まで逃そうと思っていたし、彼ら三人ではじめた動画制作が、三人で結ぶ未来を思い描くことが出来ていた。
もっとも、三人が三人とも、自分が犠牲になって他の子たちは、特にこの自分以外の二人だけは生き延びさせようと決めていたのだけれど。
小学生だぜ、まだこのコら。それなのに、覚悟ガンギマリすぎだよ。
それは或いは、まだ子供だからこその死に対する鈍感さなのかもしれない。この年代の子たちって、死ぬという事に対して過剰なくらいに怖れ敏感であるケースと、死に対して実感を持てないからこそ危機感を持たない、恐れを抱かないタイプがいるように思う。まあ、啓たちがそれだとは言い難いのかもしれないけれど、でも覚悟に対して引き換えにするものに対しての実感が、まだ経験として足りない気がするんですよね。
でなければ、惺にしても菊にしても、あれほどの自己犠牲を責任感や喜びすら抱きながら示せるだろうか。
いずれにしても凄まじい。
特に啓は、この歳にして子供、或いは人間という括りを逸脱し、純粋な「画家」という生き様に純化していく。そこに使命感、母に対する愛情ゆえの罪悪感、惺たちに対する友情を、そして友の未来を奪う悪意に対する怒りを原動力と方向性にして、自分を純化させていく。
はたして、この歳で芸術家としてここまで純粋な存在に昇華したモノがどれだけいるだろう。
でも、そんな人間以外のものへと化けていく彼を、或いは怪異に飲み込まれて消えていくだろう啓を守ったのは、菊の献身だったのです。
彼女のそれを、愛と呼ぶのが正しいのかちょっとわかりません。きっと菊の啓に対する想いは男女のそれではなかったように思いますし。
でも、それは尊いまでの献身でありました。自分を顧みない、という意味合いにおいては究極の。死してなお、いささかの劣化もないほどの。
そして、画家以外のなにものでもなくなろうとしていた彼を、この世の狭間から消え去ろうとしていた彼を、子供に戻したのは本当に当たり前にあってくれた、母親の愛情でした。
決して親が、大人が介入できない、子供たちだけで完結せざるをえない自力救済の理が絶対の中で、菊の手助けがあったとはいえ、啓が消えようとしていた事に気づき、夢中で探しにきてくれて、声を届けてくれた、見つけてくれた母親のあの決死の思い。もうめちゃくちゃ胸を突きました。泣くわ。
母親のために自分は消えなくてはいけない。悲しませること無く消えることができれば、母親の負担にならずに済む、と思い定めていた啓の覚悟を覆してくれる、唯一にしてもっとも尊い、啓に届く手だったんですよね、あれ。

ほんとね。もしいなくなるのなら、存在自体忘れ去られた方が誰も悲しまずに済む、ってどうなんでしょうね。真理ではあると思う。でも、生まれてから今まで一緒に生きてきた思い出まで失われて、うしなった事実すら思い出せないって、どうなんでしょうね。失う悲しみと比べて、どうなんだろう。1巻で子供がいたという記憶すら失ってしまった親の、あの様子を見るとね。
惺はほうかごの中で死んだのではなくて、怪異によって日中に殺されたことでその死は誰にも忘れられることなく、両親や友人みんなに悼まれることになりました。
でも、それは惺の望みではなかった。その末路は、彼が選ぼうとしていた結末には届かなかった。無駄死に、だったのか? いや、彼が残してくれたもの、情報、マニュアルはあまりにも掛け替えのないものだった。でも、その死に方はやっぱり無駄死になのか?
彼の死をどう捉えるべきなのか、元々ガンギマリで、そもそも既に死を前提としていた立場にあった惺の、その末路を受け止めるには色々と複雑すぎるものがあり、想いは定まらない。
ただなんにせよ、彼は最初から最後まですごすぎる子だったよ。その惺を生かすために、皆で庇って死んだという一世代前の先輩たちもまた凄まじすぎるし、残された啓と菊の戦い、そして七人目の「かかり」のなりふり構わぬ生き残り方と、そこまでして生き残ろうとしながら危ない橋も渡って啓たちに協力を惜しまなかった由加志くんの一種の誠実さ。すごかった。
怪異に怯え逃げ回る獲物や生贄なんかじゃない、真っ向から立ち向かい抗った強い子たちだった。
そんな子らを毎年毎年、見送らざるを得ない太郎さんの心境たるや、察するにあまりある。彼こそが地獄なんだろう。留希くんもさあ、前巻のあれが最期かと思ったら本当の意味で死ねてなかったって、いくらなんでも悲惨にも無惨にも程がある。
辛い、辛い、でも最期までみんな、よく頑張った。絶対、全滅だと思ったもの。よく繋いだ。
そして、卒業してなお、皆の思いを背負い続ける啓の生き様。抵抗を、続けるんだな、画家は。
あとがきの、まだ続く、本作がまだ続く、という発言に衝撃を受けたわけですけれど、これはどういうショックだったのか自分でもはかりかねている。悪夢がまだ続くという怖れなのか、それとも太郎さんや次代の子らに対する救いがあるのかも、という一抹の希望を見たのか。

いずれにしても、これを読んでしまうと世の小学生に対して、敬服の念、いや尊崇の念を抱かざるを得ない。偉いんですよ、小学生って!