好きって言えない彼女じゃダメですか? 帆影さんはライトノベルを合理的に読みすぎる (角川スニーカー文庫)

【好きって言えない彼女じゃダメですか? 帆影さんはライトノベルを合理的に読みすぎる】 玩具堂/イセ川 ヤスタカ 角川スニーカー文庫

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無言の『好き』に萌え死に必至!? ちょっぴり不思議な青春ラブコメ!

「恋人同士、ですか? よく解りませんが、それでよければ」
僕の彼女、帆影歩は少し変わっている。無口で無表情が基本な上に「人=哺乳類=おっぱい大好き」と、平然とトンデモ理論を語ってくる。さらに僕の足の甲を愛撫してきたり、入浴中の裸の画像を送ってきたり――って帆影?当初は清純派文学少女だったよね!? おかげでなぜか妹の映が心配?してきて、言葉責めに合うようになったのですが!?(妹よ、お前は何なんだ)
そんな帆影も“普通彼女”を目指してはいるらしく、参考にしているのは……ら、ラノベらしい?(なんか期待しちゃう)
彼女と妹と僕。ラノベを通じた不思議な三角ラブコメ開幕!!
ううっ、おもしろい、面白いよぉ(咽び泣き
なんだろう、玩具堂さんの作品って自分的にどストライクすぎて泣く。手の届かない痒いところをピンポイントでコリコリ掻いてくれるような、この奥まで届いてる感がもうたまんないんですけど。
いや面白いのがね、この作者さんの特異なところって奥まで届いてる感を細部まで余すこと無く全部書く、のではなくてむしろ肝心のところを直接「書かない」ことでその人物の奥行きを掘り下げていくところがあるのです。
そのキャラクターの内面を直接描写せず、他人から見た姿、仕草や発言、その様子から人物像を浮き彫りにしていく。そう、想像させるんですね。
本作だとそれをダイレクトにやっているのが、メインヒロインの帆影さん。何を考えているのか非常に分かりづらい、普通の人とは考え方の基盤が異なっていて、共通認識として言わずとも共有しているものを持ち合わせていないが故に、思考のアプローチがすっ飛んでいて常識に縛られて居ない人。
主人公の妹ちゃんの映からはトカゲ呼ばわりされてしまう彼女ですけれど、一方で主人公の新巻くんの主観からは妹ちゃんとは異なる人物像が形成されていて、彼は彼女に惚れ込んでしまっているわけだし、また彼女の友人である酒々井から見る帆影も、井伊坂から見る帆影もまたちょっと異なる人物像を浮かび上がらせている。それぞれの主観によって形成される帆影という人物像は微妙に異なっていて、それでいて内面が語られることのない帆影という娘が実際何を考えているのか、どう感じているのかというのはわからない。わからないが故に大いに想像を広げさせられるのである。
だからこそ、帆影の独白であり本人がまったく自覚していない告白は、無窮のインパクトをもたらしてくれるのだ。ってか、あれは反則ですよね。
とまあ、本作では書かれない部分を最後にああやって劇的に「書く」ことでリーサル・ウェポンとしちゃっているわけなのだけれど、実のところ主人公である新巻くんもまた何気に「書かれていない」人物である。
閑話を除いて新巻くんの一人称で進行する本作は、当然新巻くんの語りによって描かれているわけで、彼の内面描写や独白、彼がその場面で何を思い何を感じどう見ていたというのは余すことなく描かれ、彼の考えは語られている。
彼については全部書かれているじゃないか、と思われるところなのだけれど……実のところそれって全部新巻くんの主観によるもので、彼の客観的な人物像、他人から見た新巻くんというものはどうも彼自身の自己評価とズレがあるんですよね。妹の映の辛辣な評価と彼自身の自己評価は一致しているように見えますけれど、映のそれはブラコンを拗らせて実際の言動と映自身自覚してない部分の兄への憧憬は随分食い違ったものがありますし、新巻くんのあの初動こそ鈍いものの優柔不断とは程遠い明察かつ芯の通った物言いは彼自身が自認している新巻くんの人物像とはかけ離れたところがあって、なかなか図りきれない、あるいは計り知れないところがあるんですよね。
これは、帆影さんが語る新巻くんという男の子の在りようからも伺えるところで。
直接描かれる部分ではない、自己評価と他者からの主観のズレや、発言や表情、仕草や物腰といった客観的に判断できる事柄から、そのキャラクターの人物像が浮き彫りにされ、または掘り下げられていく。帆影さんの存在感に目眩ましされているけれど、こうしたキャラの描き方は新巻くんにもかなり当てはまっている気がするのだ。新巻くんに限らず、これは映なんかに対してもそうで、新巻くんから見た妹のみならず、新巻くんの主観から見た妹に対しての帆影さんの態度など、他者を介した妹の見られかたとか、すごい遠回しで直裁に書かれてない。また、結局誰もその想いを具体的に指摘することなく、示唆するような物言いに終始していた果歩の新巻くんに対してのあれこれ云々もそんな感じで。
新巻くんの一人称によって進行する物語だけれど、決して新巻くん視点だけによって形成される世界ではない、というべきか。或いは、新巻くんから見た帆影さんの話、ではなく、もっと俯瞰的なところからみた帆影さんと新巻くんというカップルと、それを取り巻く人々の物語というべきか。
新巻くんの語りだけれど、新巻くんも観察観覧の対象なんですよね。
その意味では、妹の映の視点である閑話というのは思いの外重要なバランス素材であることがわかってくる。妹の目から見た帆影、のみならず映から見た兄の姿を描写することで、視点と主観が幾つも錯綜してこの物語が形成されていってる指標みたいな形になってるというべきか。

しかし一方で、意思表示が明瞭な妹ちゃんや内面描写でけっこう懇切丁寧にいろいろと語ってくれる新巻くんとか、最終的にその想いをわかりやすく暴露してくれた帆影さんなど、はっきりと描かれている部分もまた多い、というか大部分である。
そういう意味では、迷彩に迷彩を掛けまくっていた【子ひつじは迷わない】シリーズとはまた異なったアプローチで物語世界を織りなしているとも言えるのだろう。
それはそれとして、合理性を突き詰めた結果「人間はほぼおっぱいでできている!」という結論に至る帆影さんの言を補強する形で例題として出されたライトノベルの表紙。自著【子ひつじは迷わない】の第五巻。一巻ではなく、佐々原が表紙を飾る五巻を選択するところに非常に強いこだわりを感じるのだが、これ如何に。

ともあれ、だ。本作の魅力というのは、帆影さんの不思議なキャラクターを愛でるのにとどまらない、そんな彼女の……帆影さん自身がコンプレックスを抱き、或いは傷ついている他者と共感しにくいズレている感性を引っくるめて、彼女をまるっと愛でる新巻くん。彼女に不自由さを感じること無く、何を考えているのか分かりづらい帆影が、何を考えているのかどう感じているのかどんな事を思い描いているのか、というのを常に思いめぐらせ思い馳せている。思い込みで決めつけるのではない、相手が何を考えているのかを考える、という当たり前だけれど尊い、彼女の存在をまるごと受け止め抱擁する新巻くんの、この二人のカップルを慈しみ、愛でるための物語なんだなあ、と思う次第。
「コーヒー牛乳みたいなのありますか」

この帆影の漢らしい発言でときめいてしまう主人公に尋常ならざる共感をいだくのでした。
読み応え、という意味でなんか自分の中の底まで浚うことが出来たような満足感というか堪能があって、ほんと好き、大好きです玩具堂さんの物語は。面白かった。

玩具堂作品感想