月とライカと吸血姫 (ガガガ文庫)

【月とライカと吸血姫】 牧野圭祐/かれい ガガガ文庫

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宙に焦がれた青年と吸血鬼の少女の物語。人類史上初の宇宙飛行士は、吸血鬼の少女だった――。

いまだ有人宇宙飛行が成功していなかった時代。
共和国の最高指導者は、ロケットで人間を軌道上に送り込む計画を発令。『連合王国よりも先に、人類を宇宙へ到達させよ!』と息巻いていた。
その裏では、共和国の雪原の果て、秘密都市<ライカ44>において、ロケットの実験飛行に人間の身代わりとして吸血鬼を使う『ノスフェラトゥ計画』が進行していた。とある事件をきっかけに、宇宙飛行士候補生<落第>を押されかけていたレフ・レプス中尉。彼は、ひょんなことから実験台に選ばれた吸血鬼の少女、イリナ・ルミネスクの監視係を命じられる。
厳しい訓練。失敗続きの実験。本当に人類は宇宙にたどり着けるのか。チームがそんな空気に包まれた。
「誰よりも先に、私は宇宙を旅するの。誰も行ったことのないあの宇宙から月を見てみたいの」
イリナの確かな想い。彼らの胸にあるのは、宇宙への純粋な憧れ。
上層部のエゴや時代の波に翻弄されながらも、命を懸けて遥か宇宙を目指す彼らがそこにはいた。宇宙に焦がれた青年と吸血鬼の少女が紡ぐ、宙と青春のコスモノーツグラフィティがここに。
人の夢と書いて、儚いと読む。という言葉を何となく思い出してしまった。
宇宙を目指す物語というと、過酷で残酷ではあっても未来と希望が待っているものなのですけれど、本作は少し違うんですよね。人として、初の有人宇宙飛行へと旅立とうとしているイリナ・ルミネスクにとって宇宙に到達するということは、終着点なのである。吸血鬼である彼女は、人類扱いされず実験体に過ぎず、いわば先に生物として初めて宇宙飛行をすることになったライカ犬と同じモノ扱いされている存在にすぎない。
彼女の飛行は、人間が宇宙に行って帰るための予行演習であるが為にちゃんと帰還までのプロセスは組まれているけれど、見込まれている成功率は最初から半分を切り、それは計画がせっつかれるたびに急速に下がっていく。
つまりは、帰ってこれないのも仕方ない、と最初から見積もられてしまっているのである。それこそ、最初から帰ってこれないことが前提だったライカ犬に比べればマシ、というくらいには。
彼女はそれを知っている。イリナはそれを承知している。それでも、彼女は宇宙を目指しているのだ。そこにたどり着こうとしているのだ。そうして、そこにたどり着いてこそようやく自分は自由になるのだと信じている。いや、決めている。
自由の意味を、彼女がつぶやいた時には読者である自分はまだ理解していなかった。それがようやく察せられたのは、わずかにレフに心開いた彼女がその心情を吐露したときだった。
それが、それしか彼女に救いがないとわかった時のあの切なさ。自分の結末を承知してなお、宇宙に憧れそこを目指そうとしている彼女の夢は、あまりにも儚くて、悲しかった。
もし、レフという青年が居なければ、彼女を人として見るしか出来なくて、同じく自分の命よりも宇宙へのあこがれに忠実で、イリヤと夢を共有してくれる存在が、喜びも悲しみも生きることそのものを共有してくれる存在が居なければ、彼女の心は地球の重力から完全に解き放たれてしまっていただろう。
吸血鬼の故郷だという月へと、彼女は何の未練もなく旅立っていただろう。それは、彼女にとっては後腐れのない未練のない結末だったかもしれない。幸せですらあったかもしれない。夢がかなって、何もかもが消え去ってしまうという終わりを迎えられたかもしれない。
そう思えば、レフとの間に結ばれてしまった絆は、未練は、夢の跡のその先は、とても残酷な現実を二人に突きつけることになるかもしれない。
それでも、レフは求め、イリヤは足掻いて、生きる意思を貫いた。戦って、選んだのだ。だからそれは、どれほどの悲劇が彼らを待ち受けているのだとしても、祝福スべきなのだろう。誰にも語られぬ人類初のコスモノーツの誕生と帰還を。

仮想の世界とは言え、冷戦時代の米ソの宇宙開発競争をモチーフに描かれたこの作品世界。舞台となる国が西側ではなく、東側であるというのも面白いのだけれど、冷たいセクショナリズムに覆い尽くされたこの旧ソ連をモデルとした共和国。国のあり方としては確かに冷徹で酷薄なのだけれど、その中で生きている人間は決して冷たい血が流れているマシンでも悪人でもだけでもないんですよね。それは、開発主任の博士や、チェーカーに該当する治安維持組織の人間も同じで、勿論その組織内での立場故の振る舞いはあるものの、ちゃんと人間らしい情を持っていて、主人公たちを追い詰めるのではなく逆に助けてくれたり、さり気なく便宜を図ってくれたり、なんていう真似もしてくれて、ありがちな東側の描き方ではない、ちゃんと国や組織の中で人間が生きて、心を動かしている物語であったことが、何とも嬉しい。そうであるからこそ、イリナとレフに課せられた宿命が引き立つとも言えますし、宇宙に対する想いの熱がより人間の物語として伝わってきたのかもしれません。
読後の余韻に、しばし浸りたくなる良作でした。